中屋も息子がトタン屋になってから大分廻しがつくやうになった。昨年あたりから村内でも稚蚕飼育に手間のかからぬトタン箱飼育が流行ってゐたからトタン屋商売は大当りだ。
「佐賀屋も楽になったと云ふもんだ!」ふいに新蔵は云った。
「楽どこか、俺ァまりは……」勝太は頭を振った。
「賄を拡げちまってどうにも借金だらけだ!」
「今日日《けふび》借金のねえやうな者は無いが、お前のとこは息子も娘も実直でよう精出すでなあ!」
 新蔵は羨ましがる口ぶりで又云った。
 酒を飲まぬ宇平は先刻から黙り込んでゐたがむっつりと重い口で、
「俺ァまりぢゃ米はいくらも取らん、飼ふ口は大勢だ、小作料は米で納めんならん、それでお蚕はしじふ腐らすと来とる! 法はねえ!」
 投げ出すやうに云った。
 宇平の所は近年災難続きで娘が製糸工場から病んで来て肺病で死ぬ、女房は中風で動けなくなる。何かの祟りだかも知れぬと弘法様に拝んで見て貰ったら屋敷が悪いと云ふので移転をしてその時奉公に行ってゐる[#「行ってゐる」は底本では「云ってゐる」]二番息子が右腕の骨を折るといふ工合で、それに孫が大勢なので、息子夫婦と三人で気違ひのやうになって働いてゐるのだが、暮しは苦しくなる一方だった。
 考へて見ると身上を拵へる、拵へないと云ふ事もはじめは一寸したはづみから出発するやうなものだ。ここで遊んでゐて食へる者はない。それは丁度絶えず廻転してゐなければならない車輪である。年柄年中|間断《ひっきり》なしに仕事を追ひ掛け片付けてそれでやっとどうやら廻って行く事が出来る。今日これきりできりになったといふ事はない。――松下や吉本屋ではうまくはづみがついて休みなく廻りはじめたと云ふものだ。――
 それが一寸躓づけば(そんなはづみはふんだん[#「ふんだん」に丸傍点]にある)もう直ぐ抜き差ならぬ泥沼へ落ち込む仕掛に出来てゐる。一人病人が出来一度蚕に失敗すればもう直ぐ借金になる。余分な稼ぎに出て居ればそれ丈廻転が渋滞する。
 さうなると因果関係で、人の三倍四倍働いても泥沼から足を抜く所か一歩一歩と深みに引きずり込まれて行く――他人とのひらきがだんだん大きくなって行く――そしてもう一度上手に廻り直すと云ふ事は昨日を今日に直す事よりも不可能になって来る。かうなると借金は雪達磨の様に転がして大きくして行くばかりである。途方に暮れて惘然《ぼんやり》して居れば尚増える借金だ。
「そいだがかうなりゃ借りた者の方が強いぜ!」
「何んちゅったって返せんものは返せんと度胸を据ゑ込んで了ふでなあ……ハハハハ……」
 留吉は酔の廻った眼を据ゑる様にして云った。
「本当《ふんと》だなあハハハハ……」
 皆相槌を打って笑ったが勝太は一寸硬ばった顔をした。(俺らとは働き様が違ふぢゃないか!)と云ふ腹があるのだった。
「これでお蚕に追はれとるうちゃァ何んと云ってもいいが……」宇平は心細さうにぼそりと云った。
 その不安は誰の胸にもあった。
 冬の稼ぎは主として炭焼である。炭を焼くと云っても山を持たぬから立木を一山いくらで買って始めねばならぬ、それに近頃は規則が喧しくなって、俵にする萱からして買ひ入れねばならぬ。一日二俵焼と見て、それで上炭五貫匁俵この春の相場で四十銭である。
 女や子供は炭俵の駄賃負ひをする。峠を越えて隣村迄持って行き、帰途には米を買って背負ってくるのが普通である。
 女でも合田のおときなぞは力持ちだから、体の弱い亭主に二俵背負はせ、自分は三俵背負ってさっさと登る。そして峠へ先に登り詰め荷を下しもう一度引き返して来て亭主の荷を頂上迄背負ひ上げるといふ遣り方である。それで駄賃が一俵十五銭と云ふところ。
 繭相場次第で秋にはどこ迄落ちるか見当がつかぬと聞いては最早手段がなくなって了ふ。
「佐賀屋の小父さま居る?」
「居る!」勝太は自分で答へたが戸間口の方を透かし乍ら、
「義公か、なんだ?」と云ったが「お前まあ一寸借りてあがれよ!」と坐ったままである。
「義一っさ、おあがりな!」暗い井戸端で洗濯してゐた、留吉の女房が入りしなに挨拶した。
「義一っさは酒を飲まんでお茶でも入れるに!」
「お前、酒は駄目か? お父まの子ぢゃねえな」
「今とてもいい相談がはじまっとるとこよ……」
 アハハハハ……と笑声が湧いた。
「直樹さ帰って来たっちふなむ、なんに来たんずら?」義一は新蔵の横へ坐り乍ら聞いた。
「うん、もう十日ばか来とる。あいつも何をしとるんだか……名古屋の方だってどうせいいこたあねえらよ。今時ぶらぶらしとるやうぢァ!」
「俺らも此処に居ったってつまらんでどっかへ行かっと思っとる!」
 義一はさう云ひ出した。
「俺ァどうせ学問の方は駄目だで……、老爺と二人で食へさへすりゃいいんだで!」
「お前食ってそこが出て行けさへすりゃ結構よ!」

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