勝太は沁んみりした調子で云った。
「ふんとだなあ!」宇平はさう合槌を打った。又生活のことに話が落ちて行く。――
 勝太は義一の年頃の事を思って見た。
「俺ァの時分には、朝飯前に六把の朝草はきっと刈ったんだでなあ――。それで夜業にゃ草鞋なら二足、草履なら三足とちゃんと決っとったもんだ!」
「……うん、そりゃあ昔の事思ふと今の者はお大名暮しだ。昔の事云ふと若者は機嫌が悪いで俺ァ黙っとるが……」
 宇平は呟くやうに云った。
「だが今日日ぢゃ草鞋作って穿《は》く代りに靴足袋買って穿かんならんやうに世の中が出来とるでなあ! なんでもその通りだ!」
 冬の稼ぎの石灰俵編みで、女手で夜業迄編んでやっと十四五枚のもの、それが二十五枚で一梱だが壱円札を握るには六梱編まねばならぬのだ。その血の出る思ひの壱円札をひょっと盗まれて了った時は悲し過ぎてぼんやりしたと、お袋が折々話した事を勝太は思ひ出してゐた。もう一度さういふ乏しい時世が返って来たのだ。――
「俺らもどうかへえ、馬鹿働きが出来んやうになったよ。不精《ずくなし》になっちまって……骨仕事がどうも厭《や》ァになった!」
 勝太はそれをしんから感じて沁々云った。
「そいでも色気はあるだで?」新蔵が笑った。
「色気やなにやァあらずかよ! 耄碌しちまって、そんなものは爪の垢ほども有りゃせん!」
 ハハハハハ……と、勝太は笑ったが皺の深い手でツルリと撫ぜた。
 新蔵は義一の肩をつついた。
「それよかお前、早くお嬶《か》っさま貰へよ!」
「貰へたって、俺ァまり来て呉れ手がねえよ!」
「さう云ふなよ、隣家に丁度いいのが有るぢゃねえか。君子さを貰へよ?」
「君子さがどうして来て呉れず! 俺とは身分がちがふもん!」
「なんで?」相手が案外真面目に出たので新蔵も真顔になったが、
「藤屋あたりが威張るとこぁ薩張りねえぢゃないか、元が有ったってなんにも無しになりゃ俺らと同等ぢゃねえか!」
 熱心になって云った。
「なあ! 森田様だ大屋様だって威張りくさったって潰れりゃ、小屋になっちまったぢゃねえか!」
「ふんとに森田も小屋になっちまったな!」
 勝太は頷いた。
「岡島もあんなざまになるし大沢もつぶれたし大屋衆はみんな引張り合っとるで、ひとり倒れりゃ総倒れだ!」
「お志津まもふんとに気の毒なことになったなむ!」女房のまつゑがさう初めて口を出した。
「春時分、喜八郎さがえらい大病したってなむ!。肋膜かどっかで死にさうだったって!」
「うむ、弱り目に祟り目さ。だが森田も変りや変ったもんだな!」
 勝太は何か動かされたやうな云ひ方をした。
「死んだお袋がよう云ったもんだ、稲|扱《こはし》休みに南瓜《かぶちゃ》の飯を煮とったら、森田のお安様が年貢取りに来て、火端へ上ってお出で、南瓜煮えたけ! さう云って一つ突つき乍ら、おめえ米なんちふものはな、有りゃ有って、始終水車小屋へ通はんならん……。搗け過ぎりゃせんか、盗られりゃせんかって苦労の絶えたことはない、みんなおんなしこんだわな……ってさうお云ひて……俺らだまって聞いて居ったが悲しかったでいまにわすれんよってなあ!」
 勝太はさう話してゐる中に現に自分が云はれたやうな口惜しさの湧くのを覚えた。
 森田の元の邸には台所が二つ在って耕地の者は下の台所迄しか行けなかった。勝太のお袋達の時代には、正月と盆には耕地中の者が家族全部引連れて土下座の形でお招ばれに行った。それは単なる小作人と地主の関係ではなく、農奴として厳格な主従の関係を結ばれてゐたので、耕地の者は大屋へ絶えず出入して召使ひの役目を果たしてゐたのであった。それはこの森田部落許りでなく、他の部落も同様で部落部落に一軒づつ大屋が在って、耕地の者は山林田畑と等しく大屋の所有財産で有り、人間の売買さへも行はれてゐたのである。
 自分等の祖先達の事を思ふ度、勝太は激しい屈辱を感じないではゐられなかった。
 その思ひにこそ身を粉にして働き続けて来たのではなかったか……。
 留吉はふとにやにやして
「あれで森田のお志津さも独りで遣って行けるらか?」と云った。その意味がみんなに解った。
「そりゃ遣って行くとも! 亭主やなになくたって……。女はそこへ行くと子供さへありゃ強いものだに!」
 まっゑがハキハキした口調で云った。
「どうだか! 女寡婦に花が咲くって昔から云っとるでハハハハ……」
 新蔵は笑って云った。
「こないだ、おふじさが馬鹿に洒落た風をして帰って来たぞ。馬鹿に若々した顔しとった……」
「おふじさは製糸で取るで工面がいいな!」
「製糸でいくら取れず! 口稼ぎがやっとこだ。又いい金主がついたんずら!」
 留吉は女房の顔を見乍ら云った。
「だが由公は脆く死にゃがったな……。森田の利国さの好い相手だったが……。ありゃ酒がもとだな……。
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