た。今度はいきなり障子へ足を突込んでベリベリと破った。そして傍に這っているみさ子の体を蹴飛ばした。「わあっ――」とみさ子は泣きだした。志津は飛んで来た。そしていきなりピシャリと清作の頭を殴った。志津の眼には口惜しい涙がにじみ出た。
「飼っちまったら遣るって云っても? 解らん児だ!」
志津は戸棚から一銭出して「さァ――」と云って渡した。清作は機嫌が直って、涙を拭いたが、銭を握って外へ出た。「清ッ!」志津は家の中から呼んだ。
「早く行って買って来て、お母あゃんはせはしいんだでみいちゃんの守をしとくんなよ!」
「ウーん」と長く引張って答へて、清作は坂の下の方へ駆けて行った。
志津はふとした時に、死んだ利国の事が憶ひ出された。末だどこからかひょっと帰って来る様な気がする時があった。或る晩利国は泥酔して帰って来て門先の溝川へ転げ落ちた。そして起き上る力がなくなって「う、う」と唸るばかりだった。
「お父っさま、お父っさま!」
志津は涙をボロボロこぼし乍ら取り縋った。
利国は月が経って漸く半身丈動かせる様になったが、口が充分利けず、涎が流れる様になって見る影もなくなって了った。
利国はやっと杖にすがり乍ら、川向うの生家へ始終のやうに米や金の無心に出掛けて行った。
「利に来られると身がちぢむやうだ!」
向うの母親はさう云って歎いた。
それでも親の情で、帰って来て袋をあけると、五十銭銀貨の二つや三つ包んだ紙包みが、米にまじって出て来たことも一度や二度ではなかった。
「お父っさまお米持って来た?」
久衛と清作は心配さうに、内証でお互ひにそのことをささやき合った。
人には話すこともできぬやうな悲惨な思ひの日が二年も三年も続けられて来た。
志津は時折利国に相手になってもらって、あぶなっかしい足どりで畑へ肥桶を担いで行ったことを思ひだした。それは散々道楽しつづけて、いつもお互ひに冷たい眼をしあってゐたもとの夫とは別人のやうだった。
さういふ夫に対してはじめて、落付いた夫婦らしい情愛を持つ事が出来たやうだった。
志津は何も彼も勝手に押しつけておいて先に死んで行った利国が怨めしくて仕方なかった。
絶えず絶えず押し寄せてくる生活の不安をとてもひとりで払ひ切れぬ気がした。
上簇《おやとひ》の日には、志津はおときを頼んだ。
おときの所では一昨日《おととひ》上簇が済んで、今|漸《や》っとうろつき[#「うろつき」に丸傍点]拾ひが片付いたところだと云って直ぐに来て呉れた。
巣掻《すが》いた蚕がさわぎ立ってゐるので、志津はおときと二人で目が廻る程|忙《せは》しなく動きつづけた。廂の軒で条桑育にした蚕には、栗の木の枝を刈って来て、それにとまらせてはたいた。それを片端から今牧に移して棚へさした。
「余っぽどまめな虫だこと! これなら六貫平均出るかも知れん……、お宅ぢゃ白彊病がすくなかったで!」
おときは虫を拾ひ乍らそんな事を云った。
「そんなに出ますものかな! 全部でそんな事かも知れん! いきなり飼ひをして、それに桑がへぼい[#「へぼい」に丸傍点]でとても駄目な!」
「本当に桑がへぼくちゃ駄目だなむ、貫数より何より糸分《いとぶ》がないで……わしら方あたりぢゃ生産へだしてもいつでも糸量で引かれちまって!」おときは云った。
「かのゑさんとこはいつでも上手で沢山お取りるなむ!」志津がさう云ふとおときはフンと笑って云った。
「どうだか判るもんかな! あそこぢゃいつでも種を胡麻化すで……春蚕だって八十五貫だがとって十枚だ十枚だってかのゑさは云っとったけれど、ほんとは十一枚掃いたんだっちふことだで……」
蚕種枠製一枚について何貫取るかといふ事は、凡そどこでも競争になってゐた。米と異って蚕の方は成る丈お互ひに自慢し合った。春蚕だと種類にもよるが大抵八貫前後取れるのだが、夏蚕になるとさうはゆかなかった。
志津は是程に骨を折ってそれで何貫取れるかと思ふと心細かった。「蚕さへあがったら?」さうあてにしきってゐるのだが、考へて見ればいくらの収入になるのでもなかった。
さしづめ何に振当てていいか見当もつかぬ程手許が逼迫してゐる。
食ひ盛りの久衛も清作もハラハラする程よく食べた。志津は屡々さもしい心に苦しめられた。
「ひと休みせまいかな!」
お巣掻きが一片附いた。おときはさう云って腰をのばした。光線の入らぬ土蔵の中は真夏でも案外涼しかった。志津はお茶を入れる為炉端で火を焚きつけた。穢く汚れた炉端の蓆におときは坐った。
壁に一枚紙片が貼られてある。
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森田区婦人会申合
一、現今不況に際しお互ひに出来る丈質素倹約を守りませう
一、お茶菓子廃止、その他冗費は一切はぶき自給自足でゆきませう
一、麦・蕎麦・栗・豆・大根の副食物を多く食
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