て行った。森田の身上にもひびが入ったと云ふ噂が聞えるやうになった。
 やがて財界の変動が、波のやうに養蚕地を襲ひはじめ、繭値は次第に下落して行った。
 さうなると地道に働けぬ性分の利国は、焦って投機に手を出して大損をした。損の埋合せをするつもりで、俄にすばらしい蚕室を建て、七八人も人を入れて春蚕の種を三十枚も掃き立てた。然しそれも見事に失敗に終った。腐ったのと不景気がひどくなったので、結局秋には立てた許りの蚕室が他へ運ばれ、次手に穀倉と納屋とが崩されて運び去られた。
 その冬祖母のお安がぽっくりと死んで行った。お安の影のやうに生きてゐた母のおたけがまもなく後を追って死んで行った。
 志津は第三番日の男の子を産んだ。今度は久衛と付けられた。利け者だった祖父の名を取って付けたのである。望みがだんだん小さくなって来た。幾度も競売をしてガラン洞になった家の中で、父の紋治は養子を罵り乍ら呆気なく死んで了った。
 倒れだしたと思ったらバタバタと一気に倒れて了った。山林も田地も疾うに他人の名儀になった。町の日歩貸の福本清作の手代が後始未に奔走した。手入した庭樹が一本づつ歯を抜くやうに抜き去られて行った。
 その年第四番目の子が生れて清作と名付けた。喜八郎も善次郎も直接《じか》には響いて来ぬ名だったが清作の名には身に痛い覚えの有る者が多かった。
「清作だって?フン、福本清作ちふ偉い人があるでな! さんざ膏を絞られといてまんだ拝んどりゃ世話はねえ……」
 さう云って憤慨したり笑ったりしたものだ。
 遂に大きな本宅も取払はれた。二反歩近い屋敷跡には裏手の隅っこにたった一つ文庫蔵が残された。利国達はその土蔵の軒に廂をかけて起伏する事になった。土蔵は福本の所有であり、敷地は利国の生家の中村家の名儀になってゐた。
 揚句の果に利国はふいと中風になって寝就いて了った。
「森田もささらほうさら[#「ささらほうさら」に丸傍点]だ!」部落の者は集るとその話になった。
 何んと云っても目の前に見事に没落して行く家を見るのは痛快だった。
 やがて利国も死んで行った。四十をやっと越えた年で……。みさ子が生れて半年経たぬ頃だった。志津は僅かの歳月の間に五つの葬式を見送った。周囲の事情がすっかり変化して了った。利国の葬式の時、手伝ひに来てゐた合田のおときが、
「以前で云やァ第一の子分だもの、無い者ぢゃないんだで、紋の付いた羽織ぐらい着て来てもよからずに……」
 さう云って志津の隣家に当る松下の理之助の事を皮肉ってゐた。
 ひとりの妹もこの冬産後の病気で死んだ。
 志津は足手まとひの四人の子供と共に取り残された。

 夕方になって久衛が学校から帰って来た。
 泣かされて来たのか顔が涙でグジャグジャに汚れてゐる。「なにしとったの! 今頃まで……」志津は畑にゐて一寸嶮しい顔をして見せた。
 久衛は肩から鞄を外しかけたがぐづぐづした。
「御飯食べてもいい?」志津が黙って頷くのを見ると久衛は元気好く勝手へ入って行った。
「さっさと食べて来て草を削るんだに……」
 志津は外から怒鳴った。
          五
からだは大分よくなりました。まだ時々背中が痛みますが大したことはありません。
今は夏肥がはじまって毎日畠へ出てゐます。
野襦袢が破れてしまったから、かはりのを送って下さい。股引も破れてしまひました。
米は盆まへに一斗だけもらって持って行きます。もうそれ以上ここから出してもらふことはむづかしいやうです。
伯母さまたちの腹を思ふと私も辛くあります。家では蚕はどうしますか。
  おだいじにして下さい。
[#地から4字上げ]喜八郎
   母上さま
 志津は手紙を繰返して読んだ。
 春蚕だけでも二百貫以上取る、利国の生家の激しい労働が思ひ遣られた。喜八郎はそこで下男として働いてゐるのである。
 利国の死後、中村家の方から「小作料は当分取らぬ事にする、その代り岡島の講の返金をするやうに」と云ひ渡された。
 それは情有る言葉のやうで実はさうではなかった。岡島家の無尽と云へば、一口千七百円の大口のもので、それが最初に取ったきり捨ててあったから利息が積った上、短期間の返済を迫られてゐるものだった。窪のおふじの家の無尽もその儘になってゐる矢先にさう云ひ渡されたことは、志津一家に取って致命的な負債を負はされたのであり、それは喜八郎がそのままそっくり背負はせられて、否応なしに泥沼の中を永久的にもがきつづけて行かぬばならぬのだ。
「喜八郎まも今っから苦労をおせるで、忠実《みやま》しい人におなりるら! どうしたって人間は他人様の飯を食べて見にゃみやましいものにはなれんでなむ!」
 おときは時折志津にさう云った。
 喜八郎ももう今年は十七歳になってゐた。
 晩になってから、志津は隣りの松下へ行った。丁度
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