効果もなかった。土間に白く山盛に放り出した死蚕を眺めて人々は張合のない顔を合せてゐた。
天竜川には毎日河上の方で捨てる蚕が流れてくる噂だった。そして日日の新聞は日増に繭の値の下落を報じた。
「へえまあお蚕飼ひはつくづく厭ァになつた!」
女房達はさう云って顔色をわるくしてゐた。
志津の家でも食延《くひのび》となってからは一人では手が廻りかねた。志津は桑畑と家との間を小走りに駆け廻らねばならなかった。やっと一回給桑を終へたかと思ふともう直ぐ次の桑に追はれ通した。蚕も狭い土蔵の中許りには置ききれなくなったので、廂に蓆を敷いて移した。そして棚を作って二段飼ひにした。朝日の射し込む方へは、久衛に土蔵横の樫の木の枝を伐らせて吊り、日蔭を作った。
今はどこでも簡単な屋外育が流行ってゐて、露天のテント張りの中で飼ふ家もあったので、志津も廂へ出して見たので、さうでもなければ、一度一度蚕沙を代へる手間はとてもなかった。志津は寝不足が続いてゐた。朝目を醒ますと、体がミシミシと病めてよろよろする程だった。
昨日から小止みなく雨が降りつづいてゐるので、ビショビショに濡れて摘んで来た桑を土間から炉端から家中にひろげて乾かさねばならなかった。そこらあたり濡れて足の踏場もないやうだった。飯櫃の中にまで蚕糞が落ち込んでふやけてゐた。志津は子供の口を飼ふ隙もない思ひをした。二人の子供は外へ出られないので、狭い家の内でてんでにつきまとった。殊にふさ子は発育が遅れて今漸くよちよち立ち始め危なくて目が離せなかった。
それに頭にいっぱい腫き物がしてゐて膿がヂグヂクでるので余計機嫌が悪かった。
「これは遺伝性の毒から来てゐるのだから早速癒りませんよ」さういつか医者に云はれた事があった。
志津は自分の体の上にも大きな故障のある事を疾《と》うから気付いてゐた。時々激しい眩暈を感じた。
やっと露の乾きはじめた桑を集めて、大急ぎで飼ひ出した。蚕は透き切ってゐる。さっきから清作は何か愚図愚図云ってゐる。志津は忙しいので、相手にもしないでゐると清作は次第に声を高めて行った。
「一銭、一銭お呉んなったら?」
「飼っちまったらやるで……」
「厭ァなあ、今でなけにゃ……」清作は泣声を上げたが、素知らぬ顔で飼ってゐる母親を見ると、喚いて急に勝手の障子をガタガタ揺すぶりはじめた。それが志津の苛々してゐる神経をかき廻し
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