糸乱れずといふ風にくくらねば気が済まぬ質で、それを整然と炭焼小屋同然の家のまわりに積みあげて置くのが自慢だった。
もっとも近頃枯枝一本拾ふ山もなくなって、吉野屋や医者の家へ持って行って売るものを作るのに苦労してゐるやうだが甚太爺は若い時から一度も女房は持たなかった。何か話しかけると手を振って笑ってゐる。ひどい聾だから聾甚太で通って来た。
小作もせず年中|日傭《ひよう》取りだから賃取り甚太といふ名もついてゐる。この前の選挙の時には、甚太も五十銭貰って一票入れに行って来た。
「お爺め、片手出して見せるから、五両貰ったかと思って俺ァびっくりした……」
選挙でいい稼ぎをした連中はさう云って笑った。
部落の南端れの増乃後家は此頃景気が好ささうな噂だった。十五年から連添った亭主に愛想を尽して別れてからずっと独りでゐた。とや角噂を立てられる年増だったが三年程前、三河者の徳次を後釜に家へ入れた。男の方が二十の余も年下だったから娘の婿に丁度好い位で、みんな蔭では魂げて了った。徳次は天保銭の方だったが馬鹿力が有って人の三人前は働いたから「うまくくはへ込んだ!」と云ふ事だった。
去年の秋のお祭の時に酒を出して耕地の衆に「お頼み申します」と挨拶を入れたので、それで正式のものとなった。
徳次が入ってから、蚕も大取りを始めるしこの冬、物置も建てたりした。
娘の貞子は体が弱いと云って製糸へも行かずぶらぶらしてゐた。器量がいいので注目の的だった。
「そいでが貞子さも仕事をさせて見ると厭ァになるぞ! 飾り物にして置くにゃァいいかも知らんが!」
青年達はそんな事を云って笑ふ時が有った。
貞子はこの頃看護婦になるとか云って町の方へ行ってゐた。帰って来る度に垢抜けて美しくなって来た。
日吉のお絹姉妹は一番運が悪かった。二人共もう死んで了った。妹のおたつは若い頃に家を出て旅を流れて歩いてゐたが、男の子一人連れて帰って来るなりどっと肺病が重くなって死んで行った。お絹も若い時は評判女の浮名を流したが、一度亭主を持ってぢき別れて了ってから森田の大旦那の妾のやうな暮しをしてゐた。年増になってもどこか仇っぽいところが有って、森田の若主人とも関係のあるやうな噂も有った。山の奥の一軒家におたつの遺児の清司と二人住んでゐた。そのお絹が一昨年の秋ふっと気が変になって了った。一日中部屋の壁に向って佇んでゐる
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