眼が光って、声は表でした。
「エ、ヘヘヘヘ今晩は!」と、漸く戸を開けて入って来たのは、遊人風体の男だった。
「ヘヘヘどうも、こんなに遅くお邪魔して何とも申訳ありません。直造旦那のお宅はこちらで?」小腰をかがめ乍らその男は封書をさし出した。そこに、薄い墨で認《したた》めた下手な父の筆蹟があった。

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くわしき[#「くわしき」に傍点]は帰りて申上候。この使の者に金三十円也お渡し下され度し、家には三十円無之と思うが、三十円のネブチ[#「ネブチ」に傍点]ある品物にてもお渡し下され度し。
爺殿にも慎作にも何卒ないしょ[#「ないしょ」に傍点]にお願申候、それからタンス[#「タンス」に傍点]の百五十円は無之候御すいりょ[#「すいりょ」に傍点]下されて何卒何卒宜敷願上候、お詫びは帰りて幾重にもいたす可候
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]直造
[#天から3字下げ]糸殿

 手紙を書いたこと等の殆んど無い父の、この拙い文章が、どんな悲痛な台詞《せりふ》にも増して胸にせまった。荒々しい風が直接身内へ流れこんで、ふっと音を立てて何もかも吹き消された様な気がした。この気配に折
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