竟にこの一事を抛《なげう》たざるべからざる乎《か》。否《いな》、否。神はわが枯槁《こかう》の残生に意味あらせんとて、特にこの所証を予に附与したまへるにあらずや。この所証を幾分にても世に宣《の》べ伝ふるは、吾が貴き一分の使命の存する所にあらずや。げにや、悟といひ見証といふもの、所詮《しよせん》は言説の伝へ得べき限りにあらざるべし。しかはあれど、わが満心の自覚を一揮直抒《いつきちよくじよ》の筆に附して、尚《な》ほ能《よ》く其の駭絶の意識の、黝然《いうぜん》たる光の穂末をだに伝へ得ざる乎、その微《かす》かなる香気《かをり》をだにほのめかし得ざる乎。能と不能とすべて神にあり。吾れは唯々[#「々」は、底本では踊り字の「?フ字点」]《たゞ》自ら見得せる所を如実に語り出《い》づべきのみ。
神の現前[#「現前」に傍点]若《も》しくは内住[#「内住」に傍点]若しくは自我の高挙[#「高挙」に傍点]、光耀[#「光耀」に傍点]等の意識につきては、事に触れ境に接して、予がこれまで屡々[#「々」は、底本では踊り字の「二の字点」]躬《しば/\みづか》ら経たる所なりしが、而かもその不磨の記憶となりて永く後ちに残る程
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