や。勿論詮議《もちろんせんぎ》を厳にしていはば、見は竟《つひ》に信に帰著すベし。信[#「信」に白丸付く]の尖鋭照著なるもの、即て見[#「見」に白丸付く]なりともいふベし。されど、こゝには唯だ普通|謂《い》ふ所の信の一義を取つて言説せるなり。されば予は将《ま》さに曰《い》ふベし、見ずして信ずる烽フは幸也、されど見て信ずるものは更に幸也と。而してこゝに謂ふ見る[#「見る」に傍点]の義がかの基督の一弟子が手もて再生の基督の肉身に触れて、さて始めて彼れを見たりとせるが如き官覚的浅薄の意味ならざるや、論なき也。夫《そ》れ真に神を見て信ずるものの信念は、宇宙の中心より挺出《ていしゆつ》して三世十方を蔽《おほ》ふ人生の大樹なる乎。生命《いのち》の枝葉永遠に繁り栄えて、劫火《ごふくわ》も之れを燬《や》く能はず、劫風も之れを僵《たふ》す能はず。
予は予が見神の実験の、或は無根拠なる迷信ならざるかを疑ひて、この事ありし後、屡々[#「々」は、底本では踊り字の「二の字点」]《しば/\》之れを理性の法庭に訴へて、其の厳正不仮借なる批評を求めたり。而して予は理性が之れに対して究竟《きうきやう》の是認以外に何等の
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