」に白丸付く]あることを。真に神を見[#「見」に白丸付く]ずして真に神を信[#「信」に白丸付く]ずるものはあらず。基督の信は、常に衷《うち》に神を見、神の声を聴《き》けるより来たり、ポーロの信は、其のダマスコ途上驚絶の天光に接したるより湧《わ》き出でたり。菩提樹《ぼだいじゆ》下の見証や、ハルラ山洞の光耀や、今一々煩《わづら》はしく挙証せざるも、真の見神の、偉大なる信念の根柢たり、又根柢たるべきは了々火よりも燎《あきら》かなり。見[#「見」に白丸付く]なき信は盲信となり、頑信となり、他律信となり、外堅きが如くして内自ら恃《たの》む所なきの感を生ずべし。我等が神を信ず[#「神を信ず」に傍点]と言ひて、尚ほ自ら顧みて、どことなく其の信念の充実せざるを感ずることあるは、是れ尚ほ未だ面相接して神を見ざるが故《ゆゑ》にあらずや。「見ずして信ずるものは幸《さいはひ》なり」、「信仰は未だ見ざる所を望んで疑はず」などいふ古言もあることなれど、是れ未だ真理の両端を尽くしたるものとは言ふべからず。見ざる所を信ずる信をして信たらしむるもの、是れ即《やが》て既に幾分か見たる所の或物を根柢とせるが故に非《あら》ず
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