描写せしむるにとゞまるフ悔なきを得るか。或は浪六[#「浪六」に傍点]もしくは弦斎一流[#「弦斎一流」に傍点]の小説家が今日に歓迎せらるゝの因を其が国民的特質を描けるの点に帰するものあり、されど浪六《なみろく》、弦斎の作を読みて国民的性情の満足を感ずるの徒は浅薄なる俗人的理想を悦《よろこ》ぶの徒か、然らざれば過去の理想に満足するの徒にはあらざるか。何となれば其の作中に現れたる理想は馬琴、京伝の描きたる理想、言ひ換ふれば多くは過去の理想を再現したるに過ぎざれば也、(弦斎の作には尚《なほ》読者を惹《ひ》く他の一面あれど)。而して此《か》くの如き理想を以て果して今の我が国民に普遍なる特質なりと言ふを得べきか。蓋《けだ》し我が社会は今や新旧過渡の期に際して挙世の趨向《すうかう》に迷はんとす。此の時にあたり、幾多主観的作家の擾々《ぜう/\》たるを見て一国民的詩人もしくは一客観的詩人を見る能《あた》はざる、蓋しまた自然の数にはあらざるか。是等幾多の主観的、抒情的小詩人を葬り去つて後、始めて綜合的客観詩人の徐《おもむ》ろに荘厳なる美術的|伽藍《がらん》を築き来たらんとするにはあらざるか。
 或は曰《い
前へ 次へ
全18ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
綱島 梁川 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング