で瀰漫する事實網の一々の事實は、大となく小となく密接に相關聯して脈動し、二六時中靜止することなく、刻々に變化を生起し、其結果事實網は新なる状態に移行する。而して此事實網經過の状態は何時始つたか何時終るか判然と知ることが出來ない、といふことになるのである。
 事實網は自ら變化して經過を辿る。あらゆる經過はその一部分を成すものに過ぎないことは云ふまでもない。即ち歴史は畢竟此等の經過の何處かを記述することで、如實に其眞相を寫取るものである。即ち經過は其儘歴史に現はれ、歴史は其儘經過を表はすこととなるのである。此意味に於て經過は歴史の實體であるとの見方が成立する。此見方を一歩進めると事實網も歴史的となり、否歴史の最後の本體となるのである。茲に於て歴史の意味は擴張し充實し飛躍するは申すまでもない。而してこの意味に於て宇宙は歴史を創成し、一々の事實は之に參加するものと解すべきである。
 宇宙は歴史であるとの見解は、學者の微視觀を根據として成立したのであるが、吾人は又常識の巨視觀を以て直に贊意を表するものである。即ち我々の經驗に於て、今日の宇宙を以て變化しつゝある現實とせざるを得ない。昨日の宇宙もさうしたものであつたのと慥かな覺えがある。更に明日の宇宙を打消す理由を見出すことが出來ない。かくして宇宙は大歴史を展開する事實を認めざるを得ないのである。洞察すれば左樣に簡單に片附くのであるが、ヘーゲルは辯證法と名ける論理の方式を案出し、縱横に振翳して切りまくつた結果は、矢張同しところに歸着した。これも一種の微視觀であるが、事物の一應の解釋を附ける力ありとするも、科學の微視觀と違ひ、眞相を盡し、豫言を適中せしめる如き能力を發揮し得ないものである、故に信じ過ぎると易者の群に墮する。又西南獨逸學派の哲學者は特有の歴史觀を成立し、事實を一囘的と見做し、之を價値觀で操り個性を附して登場せしめたのは、宛然立役を見る樣で面白くもあり、自然に愛着、自信の念を増長せしめ、個性を強固にする效力は確に認められる。故に此説は我執を維持する武器として歡迎される資格は十二分に有る。然りと雖も歸史の本義に徴するに、事物は相對的にして變化を餘儀なくするのが眞相であらねばならぬ。實際個性の筆頭と目すべき人格、國家でさへ、價値的には怪しからぬと評すべき力によつて崩壞する事實を目撃するのである。按ずるに一囘的個性觀は科學者が遠うの昔に想達してゐたのであるが、價値で操つり安心するところに陷穽が出來ることになり、自他共に引つかゝるのである。故に此説は上手に利用すべきで、過信は油斷の極みである。之に比べると、同し現象を認めながら、正反對に無我であると看破した釋迦の見識は透徹したものである。

      五

 事實網即ち歴史の考察は愼重を要し、功を急ぐべからざることは豫め注意したところであり、今又例證を得たのであるが、古來一定の方針を立て、解釋に勉めてゐるものが四つある。宗教、哲學、科學及歴史がそれである。第一に宗教は宇宙一切のことは神意に由るとなし、不都合なことは深く説明せず、知れないことは知れた如くに信じて、滿足安心するのである。實に調法な考方で、野蠻時代に發達し、年所も經ること永いのであるから、多く業蹟を殘し得て、今日でも勢力があるが、事實網の解釋に關することでは理解が惡く、負惜の強いので知られてゐる。第二に哲學は理を以て神に代へ、之を押立て、あらゆる事物を其の麾下に包攝して、價値的役割を附し、之を綜合して主觀的世界を創成するのである。この考方は夙に宗教の借用するところとなり、又風教を維持する原動力として考驗甚だ顯著なるものがある。しかしながら理想を現實と取る錯覺に罹り、自繩自縛に陷る傾向がある。第三に科學は前二者の如く、一手に宇宙の問題を引受けることを爲さず、豫め事實網につき類似の現象を選み、一區劃に纏めて徹底的に考察を掘下げ、機構の類似を見ることにより方則の樹立に到達するのである。この見方は暫も現象を離れず、萬一解すべからざるものあるも、前二者に於ける如く、自分に都合よく包攝若くは否定することなく、飽くまで現象を正しきものと取り、新なる解釋を探求するのである。この態度を洞察すれば、科學は如實に事實を認めんとするもので、之に主觀的の意味を薫染するものでない。故に科學は微視的記述であり、何時でも歴史に變形する可能性ありとすべきである。第四は即ち我歴史であるが、歴史は事實網を歴史と見て、如實に之を認識することで、何處までも事實を離れない點は科學的と稱すべきであらう。歴史は前三者の如く解釋を主として起つたものでない。しかしながら妥當な解釋は必要に應じて採用すべきであり、更に又一歩を進めて有らゆる解釋を包含せしめる見方も歴史の根本的概念に牴觸するものではない。茲に於て歴史は一切知識を綜合した宇宙學に進化する。これが即ち理想の歴史であり、事實網を歴史と取つた當然の歸結である。
 今到達した歴史の概念は合理的とは云へ、所謂哲學的飛躍を爲したもので、實現不可能と想ふべきものである。實際の歴史は一時にかゝる大望を遂げ得べきでない。しかしながら事實網の至る處に於て實際に歴史の成立を見るは明なことで、就中第一の問題とすべきは人類である。人類の歴史は古今東西に亙り現出した思想・行爲の知識の體系として成立する。普通歴史と稱するは即ちこの歴史を指すものであることは、異論を唱へるものが無いであらう。惟ふに人類は微々たる一小天體に押込められ、僅に五六の知覺を有する生物に過ぎぬものなれば、その經驗、知識の程度も思遣られ、決して誇るべきものにあらざることは、宜く反省考慮すべきである。然るに冷靜の目を以て見れば、人類は勝手に理論や信仰を考へ、同胞を救ふと稱するなどは先づ善い部で、自ら萬物の靈長を以て任じながら、いざとなると豈圖らんやの行動に出づる複雜怪奇のものもある。しかしながら、これも亦事實網の現象であり、且つ其原因は内省に由り判明し得ることなれば、將來改善の道もあるべく、深く執つて責める必要はない。何より茲に力説せざるを得ざるは、假令渺たる一現象に過ぎないものであつても、假令醜惡耳目を向くるを欲せざるものがあつても、それが即ち我々同類の事であると知れたら捨置くことは出來ない、須く高慢、陶醉の氣分を去り、眞摯敬虔の態度を以て、其眞相を把握するに努むべきである。歴史は正に此考察より發生し、徹頭徹尾眞を得るを以て第一義となすものである。かゝる歴史は則ち特に、吾人の追慕すべき祖先の消息を傳へる意味に於て、又一般に既往の囘顧を正確ならしめ、現在の行動を警醒し、將來の進路を洞察せしめる意味に於て、只に興味を唆るのみならず、實に缺くべからざる光明である。
 知識としての歴史が成立するところで、之を確保する手段として、最初に勒記、次に文書、記録、又次に歴史と稱する書物が出來た。此系統のもの殊に文書以下を歴史と總稱することは俗間及學界の通念となつてゐる。即ち知識としての歴史の記録を歴史と稱するは歴史の最も具體的、通俗的の意味である。翻つて當初歴史の概念を求めた時を考へると、例證を僅に日本と支那との一二の書物に取つたのみであるが、勿論西洋、亞米利加乃至世界全體に就いて云々するを得たのである。しかし今更敷衍を試みるまでもなく、其所に語つた歴史と此所に辿着いた歴史と全く同一のものと解して何等の矛盾を生じないことを察知すべきである。この同一を知ることにより、歴史は如何なるものであるかを突止め把握し得たとすべきであらう。

      六

 歴史の概念に到達したところで、最早餘談を試みる必要もない譯であるが、今やそれが單に記録であると知れたので、讀者或は大山鳴動走鼠一匹の感を爲すものあらば、甚だ遺憾と思ふのであるから、萬一の誤解を驅逐するため、越境の譏を犯して、記録の困難を一瞥して見る。
 支那では唐の劉知幾が修史者の資格を説いて、史に才學識の三長ありと語つて以來、歴史の方法を論じた學者も多少あるが、之を近代の西洋及日本史家の組織的な研究に比べると實に云ふに足らない。さうした研究の話は自分の受持と領域を異にするので言及しないが、記録の性質上、根本的困難が附隨することに就いて一言したいのである。
 凡そ修史の第一義は眞を傳ふるに在ることは古今東西一致の意見である。此意味で掲※[#「にんべん+奚」、第4水準2−1−74]斯は書いて實録ならざる(書而不實録)を難じ、ギボンは眞實しかも赤裸々無遠慮の眞實(Truth, bare naked unblushing truth.)を表すべきを説き、ランケは現實に在つたまま(wie es eigentlich gewesen)に書くべきを論じた。勿論その通で、眞を書現はすは歴史の使命であるが、書現はす前に觀察することが必要である。扨この觀察は直接の場合に於ても錯覺或は誤斷に陷り、背理を認識し得ないことがある。間接に記憶を辿るとか、報告を頼るやうな場合には眞を離れる危險が加はる。更に最も警戒すべきは欺瞞に引懸ることである。現在此の如き擾亂的原因を考慮せざるを得ないのであるから、過去の歴史に對しては猶更批判の目を離してはならぬ、理想を云へば、一々の事實に客觀的妥當性を要する。即ち證據の附いた事實を確立することが望まれる。この證據附の事實を發見することが第一の困難であり、更に其事實を確保することが第二の困難である。
 第一の困難は事實の認識に關するもので、今日は科學の副産物たる寫眞、電信、映畫、ラヂオ、蓄音裝置等を利用して、認識の精確を期することも出來るであらうし、欺瞞に對する何等かの方法も早晩案出されようと想はれるから、現今の歴史に就いては追々安心出來るやうになるであらうが、修史事業の大部分は過去に關することであるので、直接科學を應用することが出來ない。しかしながら人類學、考古學、社會學其他如何なる學問を通じて、間接に科學の應援を受け、誤謬を訂正する機會もあらうが、尚殘る誤謬を發見するには又々歴史の搜索を繰返すことになるであらう。即ち歴史的に證據を發見する方法を考へねばならぬ。此方法を鑑定法と稱するであらう。鑑定法は未だ搖籃期にあるもので一學科を成立してゐない。そこで理想として過去を再現する工夫が成功すれば、其儘完全な鑑定法となるのであるが、將來學者が考附いたとしたら、恐らく機械裝置を以て、現在より過去を逆視するものであらうとも想像される。則ち或人のことに就いて疑問が起つたとすると、其人の墓に祭られてゐる處に往つて其機械を向けると、暫くして靈魂が現はれ、後戻して燒場に入り、生れ變つて家に歸り、段々若返りして遂に母の體内に消行く段取となるであらう。其間に何處かで見たいと思ふ正體を捉へるのである。勿論靈魂が替玉でない證據も必要である。此話は光線の學理を辨へぬものの囈語であるなら、總ての降神術も囈語であらう。しかし靈魂が實在するなら、應援を請はねば嘘である。かゝる話を空想と排しても、その空想或は之に代るものを實現し得ない限り、過去の事實に客觀的妥當性を與へる一般鑑定法が成立しないと諦めなければならぬ。
 第二の困難は事實の記述に關するものであるが、必要にして且つ十分なる記述による事實を確保することが困難である。在來記述の方式は編年、記事本末、傳記、年表等の形に現はれてゐるが、孰れの方式に在つても、編纂の目的により、材料の選擇、取捨を行はざるべからざるのみならず、時には事實の眞相を隱蔽しなければならぬことが生ずる虞れがある。元より眞相の隱蔽は自己保存の目的を以て營まれるもので、生物界普通の現象であれば、歴史に現はれるも何の不思議はない。しかしながら歴史の概念に忠實ならんと欲すれば、隱蔽を剔抉し、眞相を闡明する記述の方法をも考へなければならぬ。其方法は人爲的潤色を避けるため、機械的描寫に依るものでなければならぬ。此の如き方法を登録法と名づけるであらう。今のところの登録法は胎生期に在るものと云ふべく、其概念を得ることも容易と想へないが、一例を擧げると發聲映畫は既に特別の場合に於て、無自覺ながら此方法
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