出來ない場合があることが分つて來た。これは吾人の通念を根柢から覆す重大事件である。以上短く説明し易い例を物理現象より選んだのであるが、類似の例證は他の自然現象に於ても目撃することが出來る。そこで普通の意味を考ふれば、物的現象は巨視的には林檎の落ちるに氣が附く如く、馬鹿も知ることが出來るが、微視的には眼にも見えぬ小さいくせに、因果法何物ぞと空嘯く怪物が目の前に群集するを認めざるを得ざる如く、釋迦も手古摺る難物である。物的現象にして既に此の如しとすれば、五官の力を以て捕捉することの出來ない心的現象は、實際手の著け樣もない次第であらねばならぬ。然るに幸に自己は一應の心的經驗を有するが故に、之に準じて他人の場合を類推する便宜もあれば、巨視的に理解することの出來る場合は少くない。しかしながら微視的には往々五里霧中に彷徨する如き感を抱かしめられることあるは止むを得ないのである。一例を申せば、責任と云ふことは、常識の結晶ともいふべき法律の認めるところで、誰でも有ると信ずるが、これは巨視的で立つるところで、更に微視觀を以て何から起つたかと尋ねると、これを説明するため良心とか自由意志とか一層分りにくいも
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