た人は必ず我と彼との區別を知り、又其相對的なることにも氣付いてゐる筈である。そこで尋ねるが、一體我考ふと云つた我は彼を知らないのであらうか。どうして彼あるを知らないで我あることを主張し得るのであらう。一切の彼を空じ終つたとすれば相對性に由て我も同時に消滅して無くなる筈であらねばならない。即ち彼の附纏はない我と云ふもののあらう道理が無いのである。故に事實問題として扱ふことになると我と云ふ途端に既に彼もあることを認めてゐると云はざるを得ない。是は明白なることである。更に又純理問題として考へて見ても、我考ふと云ふときの我と、我有りと云ふときの我とは、觀るものと觀らるるものとの別がなければならないから、結局は矢張彼我の對峙となるのである。かく考へて見れば事實上にも理論上にも、心だけが眞に存在するもので、それからあらゆる事物が生じて來るなどとは云はれないことで、心即ち我あると同時に、物即ち彼あると見るが、本當のことであらう。ここ迄考へて來ると、あの語を思ひ付いた時のデーカルトの頭には、相對的の我なる概念は單に孤立的の我なる語となつて浮んで居たのではなかつたらうかと思はれるのである。若しさうでなかつたならば、彼はあんな唯心的に誤解され易いことを云はなかつたであらうと思ふ。しかし私は今云ふとするのは唯心論にどの位の聲援を與へたかを論評するのではなく、かの語の裏面には事實的にも純理的にも彼我相對と云ふことが潛んでゐることを指摘したかつたのである。
 私は既に事實問題としては我あれば彼がなければならないと云うて置いたが、一體彼我の關係の意識せらるるのは何歳位から始まるかと考へて見れば、人に由て遲速はあるが、可なり幼稚の頃からと思はれる。即ち呼んだり聞いたり、遣つたり取つたりすることが出來る樣になれば、最早彼我の區別はついたのである。此頃彼とする者には親があり犬があり猫があり鷄があり馬がある。しかし尤も早く知られるのは親である。而して後になつて又總ての彼の中で尤も大事なる者は親であることが分つて來る。是は自分が親から生れたと知るからである。偖てこの知る事である。今私は自分が親から生れたと知ると云つたが、反對に自分から親が生れたと知つたら、どうであらう。自分から親が生れたと知ることは同一法には抵觸しないが現在の因果法には抵觸する。別個の因果法を具へたる者でなければ成し得ない藝當である。安藤も普通人と同じく自分は親から生れた者ととつた。之を事實ととつたのである。此事實は人間の基礎經驗の中で最も重大なるものであることは何人も認めなければならない。而して之を實際に當て重大視することが遂に孝の教となるのであるから、常識ある人は皆孝を以て萬善の基とする。孔子然り昌益然りである。昌益が曾參を以て人間第一人者と云つたのは外にも重大なる理由はあつたが、矢張此孝に重きを置いたことは云ふ迄もない。孝は事實に基づいたものと知つたら、かの安藤の愛國心も畢竟するに又事實に基づいた自我の觀念の擴張に外ならないことにも想達することが出來よう。そこで世間無我などを唱道したいと思ふ人があつたら、其人は先づ以つて無我を唱ふるにも食物が要ることを考へ、其食物を食ふものは何者だと反省して見るがよい。忽ち無我など云ふことは文字だけの空想に過ぎないことを發見するであらう。之に類する空想は甚だ多い。信仰的、理想的、靈的、神祕的、詩的、藝術的などいふ形容詞のついたことには動ともすると空想が跋扈する恐れがあるのは誰でも氣付くことであらう。しかるにかかる空想に對する憧憬が生ずると、事實を輕視することになつて、其結果種々な不都合を起すことになるのであるから注意を要するのである。
 偖て話は前へ戻る。安藤は自分が親から生れたことを事實ととつたと云ふことは、取りも直さず自分と親との間に成立する彼我相對の關係を事實と認めたのである。ところがかうした彼我相對の事實は客觀的に到る處に見出される。親子がそれである。夫婦がそれである。兄弟がそれである。君臣がそれである。而して孰れも彼我關係が成立してゐるのであるから、二つの中どちらか一つを失つたら、他の一つは全く意味を爲さない事になる。此意味に於て彼我相對の事實は何にも五倫に限つたことではないので、自然に於ける事物は有形無形を問はず、悉く皆かかる對峙をなしてゐるのである。即ち苦樂、和爭、善惡、正邪、信疑、空有、因果等あるとあらゆる事物は皆單獨には考へられないもので、必ず相手があつて成立するものであることが明白となつて來る。もし相對のことが明白でないものがあるならば、之を自他に兩斷する法をとれば相對の事實が現れて來ることは論理を知つてゐる者は直ぐと氣付くことであらう。しかし安藤は是を知識の上に持行くことをせず、總てを事實と取るのである。即ち自然の事物を悉く相對的と見、相對性を有する者に非らざれば成立することを得ずと考へたのである。この相對性のことを互性の二字で表し、成立の状態を活眞の二字で現はし、茲に於て自然の事物は互性活眞なりと云ふのである。進んでは又これが自然の作用であると云ふ意味で自然眞營道とも稱するのである。
 相對が實際に於て成立する以上、決して偶然のものではないので、其兩極を爲してゐる事物は本來不離不即であると云ふ考は自然と起來るのである。此考を統道眞傳の智を論じたる末に述べて曰く、眞道は自然の進退にして一眞道なり。則ち轉定にして一體、日月にして一神、五穀にして一穀、男女にして一人、牝牡にして一疋、雌雄にして一番、善惡にして一物、邪正にして一事、是非にして一理、表裡にして一般、生死にして一道、苦樂にして一心、喜怒にして一情、一切審かに皆二別を見るは即ち一眞營の進退なり。此進退は一眞營なり。安藤はかうした樣な意味のことを到る處に繰返してゐる。
 自然眞營道には事物の相對性を自明の理として、殆ど何等説明する所がない。縱に因果的に對峙するもの、横に共存的、反對的、排他的に對するもの、兩斷法によつて生ずるもの等更に選ぶところなく無差別平等に之を互性活眞と稱するのである。又かの不離不即の機制の如きも自然の眞營と稱する以外に何等説明を試みない。實に荒削りの考方である。しかし同じく相對とは云ひ互性活眞には慥に特色がある。どこまでも事物を離れずして、事物其物なりと取つて行く所に、素朴乍らに甚だ力強いものがある。何となれば之を事物に即して見るが故に、事物を離れて存在する絶對を作出す如き見方を自然に防止することが出來るからである。かの哲學は之を知識の上に即して考ふるが故に、動もすれば事物を離るる恐れがあり、相對に對して絶對を誘導成立せしむることは自然の勢ひである。佛教の如きに至つては更に思想の操縱を恣にし、二重三重に相對を振※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して遂に迷妄に陷つたものである。之を思へば安藤の考方は素朴なるがため却て迷妄に陷るを避け得たもので、彼にとつては實に幸ひであつた。
 互性活眞は安藤の到達し得たる思索の極致である。究竟的立場である。法世を壞るも是れ、自然世を造るも是れ、一切事物の生滅は皆この互性活眞に待つものである。是即ち自然の大法であるからである。安藤は之を以て、直に救世の利劔となし、法世を自然世に化成するに當つて殺活自在の妙用を發揮せしむるのである。

      六 救世觀

 凡そ一切の事物は皆互性活眞である。價値も之に洩るるものではない。互性であるから自然の上ではどちらにも重きを置く譯のものではない。雙方相持でなければならない。もし偏重偏輕にして互性の實を擧ぐること出來ないとなれば最早成立を許さない。善惡、美醜、正邪、曲直皆互性なるを以て偏重偏輕を許さざるものとなる。是に於て古今東西の教法は悉く意味を爲さざるものとして、十把一紮げに廢棄せらるるのみか、人を罪に陷るるための惡法なりと迄攻撃せらるるのである。統道眞傳佛失を糺す卷の中に曰く、是れ惡を去れば善もなし。善を去れば惡もなし。左の手は善右の手は惡、右の手を切れば則ち左の手のみにて用を達し難し、大腸に糞ありて惡なり、胸には神ありて善なり。大腸を去り胸のみ之あるべけんや。夜は暗くして惡、晝は明かにして善。夜を去つて晝のみあるべけんや。故に物は善惡にして一物、事は善惡にして一事、轉定にして一體、日月にして一神、男女にして一人なり。自然の妙を知らざる故に勸善懲惡と云ひ、或は衆善奉行諸惡莫作と云ふは甚だ私の失りなり。――諸の聖人釋迦は世を迷はし罪の穴に落し入るること大なる失りなり。と、かく論じ去るのである。此論法は直に又法律にも應用することの出來る性質のものであるから、そこで一切の政法も亦無效なりと申渡さるるのである。かくして法世の教法政法皆悉く互性活眞の蹂躙に委せられ、法律の權威も道徳の尊嚴も遂に三文の價値なしとせらるるに至るのである。
 社會から在來の政教を全く取去つたとすれば、後は修羅の巷となるであらうと思ふのは普通の人の考へる所であらうが、之は理論的には必ずしもさうとは取れない。殊に安藤は政教に代ふるに自然の道を以つてし、法世に代ふるに之に優る社會組織を以てしようと考へて居たこと故、政教を蹴飛したのは當然のことで何も惡いこととは思つてゐない。此間に處する彼の信念の篤き意氣の盛なる實に驚歎すべきものがある。しかし是は自惚れから出た暴擧と取れないこともない。何となれば彼は自然を互性とのみ取り、因果と取ることを知らない。全く知らないではないが見方が徹底しない、是は甚しい片手落と云はなければならない。自然を横斷的靜的に觀ずれば彼の云ふところに道理はあるが、之を縱續的動的に觀ずれば一切の事物は因果の形式に現れ來り、皆必然性を帶びて何等誤りのないものとなるのである。而して歴史の意義は此見方よりして生じ來ることを忘れてはならない。私は今此以上に穿ぐる事は止めるが、安藤は重大なることを見落してゐたことを指摘して置くのである。そこで先づ教法の支柱を失ひ土崩瓦壞に至らんとする社會に、安藤は如何なる應急手當を施すかを見よう。
 安藤は忽ち又互性活眞を振翳すのである。法世を屠つた利劔を以て又之を活かさうとするのである。彼曰く、爭ふ者は必ず斃れる。斃れて何の益があらう。故に我道には爭ひなし[#「我道には爭ひなし」に白丸傍点]。我は兵を語らず[#「我は兵を語らず」に白丸傍点]。我戰はず[#「我戰はず」に白丸傍点]。なるほど互性のものであつて見れば相持でなければならないのであるから爭ふべきものではない。若し爭へば爭ふものの一方が斃れるか、雙方が共斃となるか、又いつまでも爭を繼續するかに極まる。共斃の場合は論外として、一方だけが斃れ、片方が殘つた場合は、互性の見方からすると意味を成さないこととなる。又いつまでも喧嘩する位なら寧ろ早く和睦して互性の實を擧げた方が道にも協ひ幸福でもあるのである。ずつと前に安藤の平和主義は彼の思索の中樞をなしてゐる所から派生し來るのであると云つて置いたが、即ちかうした見方を云つたのである。この見方にも突込んで吟味せなければならない所もあるがお預けとする。却て宇内平和策とか無戰論とかを主張する人、殊に又具體的主義主張を以て爭はんとする人に此見方を勸めて見たい。就ては餘談でもあり適例でもないが、安藤の主張には多少關係があるからお話して見たいことがある。私は前に神の國は不渡手形だと云つた。それで思出したのだが、讀者諸君にも記憶新しいと思ふ。先年大學の新進氣鋭の學者が西洋の左傾派の人の言説を紹介した節、學生が共鳴して一騷ぎを起し當事者と爭つたことがある。其學生の申分は神の國も無政府の如きものであるから、無政府主義もよいではないかと云ふことであつた。其理由となつた神の國は不渡手形であると氣付いたら學生は起たなかつたのであらうし、又一切事物を互性と見たらば、人騷がせをする樣な事は先以て初から起らなかつたのであらう。かれ安藤の如きは無政府虚無主義などを振※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して喧嘩をするのは子供のする事で、何も大人が子供の眞似をして、打つたのはたいたのと云ふ苦々しい
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