糟粕を嘗むるだけの事以外に何んにもないとあつて、鸚鵡扱ひにされてゐる。是皆我神國の貴きを知らずして、妄りに外國の思想文物にかぶれた罪に問はれたのである。何事によらず我を忘れ彼れに從ふ浮薄ものの反省を促すこと痛切なるものがある。かかる極端なる愛國的態度は彼が思想の根元より發露し來る精華であつて、決して單純なる感情に基いてゐるのではない。猶更阿諛苟同の念など微塵も雜つてゐる譯のものではない。是は彼の如く徹底的に自覺することに由つて初めて到達し得る境遇であることは、彼と共に互性活眞の悟りを開く者にあつて首肯せらるるのである。
第二に諧謔の餘裕を持つてゐた證據として、法世之卷全體を提擧する。安藤は破邪之卷最初の數册に於て、專ら文字、言語、思想等の取るに足らざるを述べ、夫より具體的施設に入り宗教、學問、政治等を調べ、第二十三卷家康の批評を終るまでは正に眞摯其物の如く、時には熱狂して横溢暴戻を極むるも、終に眞摯の延長としか取れないのである。ところが第二十三卷を終り第二十四卷法世之卷に入るに及んで、急に恰好をくづし忽ちどつと吹出したものである。彼は法世の不合理、矛盾、滑稽なるに呆れはて、自ら其批判の任に當るを潔しとせずと云つた格で、今後は鳥獸蟲魚介、あるとあらゆる生物を呼出し、彼に代り法世の批評を試みしめたものである。革命の曉を告ぐる鷄を先鋒として、入交り立交り、説來り説去るところ、悉く其動物の形態を盡し、其性情を穿ち、直に之を世上の人に移して、愚弄嘲笑の具に供し、一上一下應接に遑なく、其着想の奇と其用語の妙と相俟つて、讀む者をして抱腹絶倒、快哉を叫ばしむるに足るもの再三ならずあつた。此餘裕此諧謔はどうしても狂人の技量とは取れない。のみならず此卷に現れた動物に關する知識の豐富正確なるを以て安藤は本草に通じたる醫者であつたのではなからうかと推定したのである。
最後に、温和柔順なる人であつたらうとの證據を擧げる。彼は爭を好まなかつたといふのは彼の知的思索の結果と見らるる恐れがあるから、ここには彼の愛好した人物は孰れも温順な人であつたと云ふことを示して、情的にもさうした傾向のあつたのであらうとのことを立證する。何れの卷であつたか記憶はないが、救世主自らが尤も完全と思つてゐる歴史的人物を拔擢して見せると云ふのであるから、正襟して見てゐると、理想的完全人一名と、半人前の人一名と、都合二名を指名するとのことであつた。偖て指名された完全人は誰であつたか。曰く曾參。半人前の人は。曰く陶淵明。
此人選の仕方を見れば安藤の衷心がよく分る。最早彼を疑ふ必要はあるまい。假令尚狂人であつたとしても、此程度の狂人なら全く安心して交際の出來るものと云はなければならない。されば寧ろ彼を狂人と見ることを止め、變つてはゐるが親しむべき人間であると取るのが至當であらう。
以上は私が自然眞營道を讀んだ時の記憶を辿り、主として安藤の確信と決意の生じ來つた徑路を示し、兼ねて又彼が危險視すべき人物でなかつた證據を述べたのである。これだけのことを以て見ても彼は容易ならぬ人であつたと云へよう。もしその性行事蹟の詳かなるを知ることが出來たら、一層の興味を呼起すに足ることがあるかも分らない。しかし私はそれ等のことを調べる暇がなかつたので、從つて語るべき多くのものを持たないのを遺憾とする。唯ここに私の知り得た雜多のことを一つ書の如くに列記して、讀者諸君の參考に供することとする。興味を覺え餘暇を持ち自ら穿鑿して見ようと欲する諸君の手懸に利用せらるることあらば幸福の次第である。
安藤昌益は確龍堂良中と號し、出羽國久保田即ち今の秋田市の人である。
彼の高弟に南部八戸※[#「危」の「卩」に代えて「矢」、第4水準2−82−22]の醫者神山仙庵といふ人がある。子孫今尚ほ八戸町に現存してはゐるが、火災のため記録類を燒盡して何等傳ふるものがない。
此外の門人では島盛伊兵衞、北田忠之丞、中村右助皆八戸住である。高橋大和守は南部の人、關立竹、上田祐專、福田六郎、中居伊勢守、澤本徳兵衞、中邑忠平、村井彦兵衞等も亦南部の人であらうと思はれる。
京都三條柳馬場上に住せる明石龍映、富小路に住せる有來靜香、大阪西横堀の志津貞中、道修町の森映確、江戸本町二丁目の村井中香、奧州須賀川の渡邊湛香、蝦夷松前の葛原堅衞等も亦門人である。香子、定幸、道右衞門等の門人は姓氏が判明しない。
照井竹泉なる人より安藤に寄せた手紙の文面より推察すれば、此人は先輩であつたらしい。
自然眞營道の原稿を持傳へた人は北千住町の橋本律藏である。
以下私は安藤の説の重要なる部分を少しく精細に吟味して見よう。
四 自然の正しき見方
自然眞營道なり統道眞傳なりを讀んで見て最初に氣付くことは、自然と云ふ文字の連發である。行列をしてゐると云ふべきか、經緯をなしてゐると云ふべきか、到るところに出て來る。凡そ古今東西の書物で自然と云ふ語をかくも多く用ひてゐるのは斷じて無いと思はれる。此事だけを以て見ても、自然と云ふ事が安藤にとつては如何に大事のものであつたかと云ふことは認めざるを得ない。申す迄もないことだが、自然は安藤ばかりにではなく誰人にも大事なのである。眞に大事ではあるが其あまりに大事であることが祟つて、常人にはその大事である事が往々忘れられる傾きがある。例へば親兄弟や、水や、空氣や、大地や、太陽や、それ其自然其物の有難いことを忘れる樣なことはないとは限らぬであらう。其位のことは能く知つてゐると云ふ人もあらう。如何にも事實としては野蠻人も知つてゐる。しかし文化が開けて來ると忘れる人が出來るやうになり、さては着物とか金とかばかりを有難がり、進んでは思想を有難がり、さうしたものを多く所有する族を尊んだり羨しがつたりして、其結果が親に孝行を盡すことを舊弊と取つたり、米を供給してくれる農民を賤しいものと取つたりする樣なこととなる。是はどうした事ぢや。自然を忘れたからである。有難い自然を忘れ勝になる人に自然の正體を見屆けようなどと努力することは、直接パンなり地位なりを得る助けにもならないことであるから、出來ないことであつて、是はどうしても眞の學者とか聖人とか救世主とでも云ふ人に求むることにしなければならないのであらう。
然らば聖人格の人は自然の正體を何と見たか。曰く天、大極、無極。曰く眞如生滅。曰く實體。曰く神。まだいくらもある。孰れも考へるには考へたものであらうが、どうも考過ぎて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りくどい樣に思はるるものが多い。殊に神と云ふ觀念は内存的の場合はまだしもの事、外存的になつて自然を創造したものとすると、貴族的であつたり、不合理、不人情であつたり、甚しきに至つては欺瞞的であるのであるから驚かざるを得ない。是は基督教の神或は又其以上の手腕を有する阿彌陀如來を見ればよく分ることである。勿論説くものよりすれば方便とも取られ、聽くものよりすれば鰯の頭も信心柄と取られ、相對づくで信仰する分には何等差支のないことではあるが、もし實際に當つて其信仰で裏書した神の國の、佛の國のと云ふ不渡手形を振※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]すことになると、馬鹿げた大事件を生ずる恐れもあることは歴史を見れば直ぐ分ることであり、小さな事件は近年我國でもいくらも起つたことであるから頷かれるであらう。偖て宗教家なり哲學者なりが自然の正體を捉へようとして旨く往かなかつたとすれば、一つ安藤の考を聞いて見よう。安藤は思想の虚無主義に立脚してゐるのであるから、何等思想の遊戲に耽るのではなし、直に自然は自然なりと取る。甚だ手取り早いやうではあるが、其所まで達するには度胸も要るし、思想を以て思想を遣る手數も並大抵でないと思はなければならない。
統道眞傳卷首に聖人自然の眞道を失《アヤマ》る論と題し、劈頭先づ彼の自然觀を述べた句がある。――夫れ自然は始も無く終りも無し。自《ヒト》り感《ハタラ》き他を俟つに非ず、自ら推して至るに非ず。常に自り感くに小進して温暖發生の氣行あり。大進して熱烈盛育の氣行あり。小退して涼燥實收の氣行あり。大退して冷寒枯藏の氣行あり。小大の進退して休する則《トキ》は進まず退かず。小大の進退に就て妄りに離別せず。小大の進退を革め妄りに雜へず。是れ五行自り然る常の氣行あり。――此語で分る如く安藤は自然は自然なりで、日月位し、四時行はれ、萬物生育する自然の現象其儘を自然と見てゐるので、其現象は皆自然が獨りで働いて起すのであつて、決して他に神佛のごとき者を俟つて起るのでないと主張するのである。そこで彼は又歩を進めて自然を曲解する聖人の論を打破するに着手する。
然るに伏羲○《コレ》を大極の圖と爲し、中に何も無き所に於て衆理を具ふと爲し、空理を以て極意と爲すこと甚だ失れり。圓相は氣滿の象積氣の貌なり。之を以て轉定の異前と爲し、是が動陽儀を天體と爲し、靜陰儀を地體と爲し、天地を二と爲し、上尊下卑の位を附す。是れ己れ衆の上に立たんが爲め、私法を以て轉下に道を失る根源なり矣。是より上下私欲を爭ひ、亂世の始本と爲す。而して今の世に至るも止むこと無し。拙い哉、自然を失る哉。自然は無始無終にして五行一眞感神の靈活にして、進退に通横逆の運囘を盡して、轉定人物と爲す。故に轉定は自然の進退退進にして無始無終、無上無下、無尊無賤、無二にして進退一體なり。故に轉定先後ある者に非ざるなり。唯自然なり。然るに己れを利せんが爲めに之を失り之を盜み、轉定に先後を附し、先を以て大極と爲し、後を以て天地と爲し、二つの位と爲す。是れ失の始め大亂の本と爲るなり。――伏羲を以て此説を爲したりとするは、所謂安藤の無學の致すところで、かかる誤謬の例は外にも多く見出さるるのである。しかし大體に於て聖人が自然現象に好きな解釋やら意味を加へて自分に都合の好い樣に勝手に價値觀を拵上げるところを指摘したものとしては有效と認める。
以上序での事に安藤の文章を引用して見たものの、拙い上に脱字あり誤字あり當字あり、彼一流の用語あり、中々分り難いのである。例へば異然とは以前のこと轉定とは天地のことで、かうした新語を使用されるので私も暫くの間は能く分り兼ねたものであつた。彼の根本的思索の記述に至つては其性質上からも甚だ解し難く、其應用を見るに及んで漸く其意味のあるところを察することを得たのである。
自然の作用として見らるるものに互性活眞の外に進退の考へがある。是は因果法に代るもので、通横逆の三つの形ちに現れることは前に引用したところにも見えてゐる。是は善因善果惡因惡果の如き殆ど自明の理とは事かはり甚だ了解し難いものである。のみならず彼の五行論と出入して複雜を極め、到底通俗の解述を許さない。故に之を評論することは容易の仕事でない。然るに幸にも救生の考へには更に用のなきことになつてゐるから旁※[#二の字点、1−2−22]割愛することとする。互性活眞は進退に比べて簡單ではあるが、安藤の敍述は極めて不充分であるから、彼の考へに基づき私が補足することとする。
五 互性活眞
近世哲學の父と呼ばれるデーカルトは我考ふ故に我ありと云つた。よく人に知られた語である。此語の意味は何者を疑ふことが出來ても、疑つてゐる自分自身の存在を疑ふ譯には往かないし、その又自分自身の存在を知らせるものは自分の心であるから、其心は即ち最後の確かなる存在であり、其心によつて自分の存在が初めて分つて來ると云ふのである。一應尤に聞える。そこで彼は是を以て彼の哲學の出發點としたものである。其哲學の是非は今問題とするところではないが、此語を鵜呑にすると忽ち唯心病に罹る恐れがあり、また流石のデーカルトも其當時彼が目的としたことにばかり注目して、此語を成立せしむるに必要なる心理的條件などを考へる暇がなかつたではないかと思はるるから、一つ吟味して見ることとする。
凡そかかる抽象的なる思索を爲すことの出來るのは、一歳や二歳の赤坊に望むべからざることで、必ずや相當成熟したる心の持主でなければならない。さうし
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