、人皇時代を通拔け、神代を突破し、遂に原始時代に突貫したものである。其間彼が歴史に對する面白い觀察もあるが略することとする。偖て原始時代に遡つて見れば其所にはあらゆる事物の搖籃が見出され、而して其搖籃の中に育ちつつある事物の起原が夫れ自身の詐らざる告白を爲すことに由つて、彼はやつと彼の提出した大問題の解決方法を考付いたのであつた。夫れから後は一瀉千里、完全に此大問題を解決することが出來たと思つた。彼が搖籃の中に見出したと云ふものは腕力であつた。同時に智力もあつた。其腕力それから智力、それから金力、それから夫等の力によつて組立てられた階級、分業、政治、法律、宗教、學問、あるとあらゆる制度文物が悉く間違つてゐると思うた事柄の原因をなしてゐると云ふことが、彼にとつては疑ふことの出來ない事實となつた。彼が茲に氣付いた時に靜に法世を棄てようとの決心を定めた。最早彼は法世に生息し法世を有難く思うてゐる人達を罵倒したり相手にしたりする遑がない。寧ろ法世其物を棄てなければならないのである。然らば先其教を棄てよう、其政を棄てよう、其文字言語をも棄てよう、よろしい思想其物迄も棄ててしまへ。是が彼の喚びである。かくして彼は遂に思想の虚無主義に立つことを餘儀なくせられたのである。
 破邪之卷二十餘卷は如上の意氣考察を以て書綴られたもので、實に極端なる懷疑の眼を以て思想、言語、文學、政治、宗教其他一切の人爲的施設と及び此等の事に携はつた偉人物を批評したものである。批評し去り批評し盡し何等採るべきところなしと見て、安藤は遂に法世其者を棄てようと決心し、棄て得る限りの總ての物を棄て去つた所で、尚且つ棄てようとしてもどうしても棄てられない物が殘つた。そは何ものである。曰く自然[#「自然」に白丸傍点]。
 自然は最後の事實である。所謂論より證據の最も優れたる標本で、思慮分別を離れてその儘に存在する。その一切を許容し包容し成立せしめて、更に是非曲直美醜善惡を問はない所に實に測るべからざる偉大さがしのばれる。此自然を人々の思慮分別に由て如何に觀るかと云ふ事が、軈て科學者を生じ哲學者を生じ宗教家を生ずる。安藤は既に法世の思想を棄てると力み、虚無主義に立つたこと故、彼は自然其儘を直觀しようと勉めた。其主觀的思索を藉らず、虚心坦懷に自然に聞かうとした所は實によく科學者の態度に近かかつた。然らば彼は科學者であつたかと云へば、勿論その傾向はあつたが、今日の科學者と比べられる樣な精確なる知識を持つてゐた譯ではない。是を當時の彼に望むのは無理な注文と云はなければなるまい。しかし彼は幸ひにも自然を根本的に理解するに當つて必要缺くべからざる見方に打當てた。即ち彼は自然を處理する骨を悟つたのである。其骨は主觀的とはいへ全く根本的の原則であつたがため、直にそれを自然の癖ととつた、即ち自然の作用であり性質であると思うたのである。此見方を會得すると同時に、今まで彼を惱ましつつあつた思想の盤根錯節は直に消滅してしまつたのであるから、彼は確に自然の妙用を知つたと思うたのである。然らばそは何ものである。曰く互性活眞。
 互性活眞を平易に云へば一切の事物は相對して成立すると云ふ事である。此四字に由て現はさるる宇宙の眞理は、今迄誰も氣付かなかつたと安藤は主張する。彼は更に其眞理を生れながらにして知つて居たとも主張する。これは大きにさうでないと思ふ。先づ第一に生れながらに知つてゐたと云ふのは、人から聞いたり、本で見たりしたのではないと云ふ意味で、赤坊の時から分つてゐたと云ふ意味ではなからう。大方苦心慘憺の結果で相當永くかかつて其所に辿付いたものであるのであらう。尤も最後の瞬間は頓悟でも感悟でもよろしい。次に又誰も知つて居なかつたと云ふ事も、安藤がしかく思つただけで、彼が寡聞のためさう思つたのであらうとして置く。彼は常に吾は無學である[#「吾は無學である」に白丸傍点]、吾に師なし[#「吾に師なし」に白丸傍点]、吾生れながらにして知る[#「吾生れながらにして知る」に白丸傍点]、と云つてゐるが、蓋し正直な告白であらうと思ふからである。しかし眞理とか原則とか云ふものは安藤の食物と同じことで一人の私有すべきものでない。凡そ事相を直觀することにより、或は論理を徹底せしむることにより、誰でも到達することの出來る筈のものである。唯其物を知識の形に代へ、言葉の着物を着せることに巧拙があるために、種々の姿となり或は別物の如く思はるることもあるのである。既に佛教に在ては種々な形で相對性の原理を活用し、時には之を亂用して思想の迷宮を作り、人を煙に捲いてゐるのみか、自らも其迷宮に拘束せられて脱出し兼ねてゐる。哲學では知識の相對性として認められ是又種々な哲學者の基礎觀念に取入れられてゐる。又近頃物理學者は總ゆる現象の根本形式なる運動の相對性を的確に把へ得て、其論法を透徹し、哲學者や宗教家などの夢にも思はない處に向つて飛躍を試みつつあるのである。
 今物理學のことを一寸例にした序でに、直接互性活眞には關係は無いとは云ふものの、ずつと後に引合にすることがあり、又先以て思想を徹底させ其實現を爲さしむることに由て危險が伴つて來る場合があるのを説明するに都合がよいのであるから、餘談ではあるが横道に這入る。物理學と云へばこれ以上正確な知識は望まれないもので、精神科學も將來その前に屈服する時期が來るであらうし、救世の實も始めて此學問に因て擧げらるる事と思はせらるるのであるが、普通の頭には這入り難いので左程には採られてゐない樣だ。しかし其知識を正確ならしむるために幾多の學者を犧牲にした事などは、軍事界や宗教界などに比らべて數が少ない樣であるから云はずもがな、之を實際に應用するに及んでは驚くべき效果を奏して、汽船、汽車、電車、自働車を走らせ飛行機をも飛ばせて、實に人世の便利此上もない。同時に又人には怪我をさせるし轢殺しもする墜落もさせる、物騷な次第である。是は是れ文明の利器ではあるが、甚だ危險極まるものと云はざるを得ない。その上かういふ世の中になつて來ると、かの精神界の仕事が聊か見劣りがする。依て倫理道徳は日に衰頽に赴くかのごとくに見えて來る。茲に於て物質的文明は駄目と來る。かうなると一方から精神的文化靈的文明の喚びが擧がるのも不思議はない。事實かう云ふことがあるから不思議はないといふのである。而して物理學的即ち物質的思想を徹底せしむることに因て危險を伴ふ事實が明白であるから、其所が惡いのであると云ふなら、それをも認めることとする。偖て問題を茲まで運んで來ると私は義務として其解決を試みなければならない。そこで假りに百歩を精神論者に讓り、彼等の危險視する汽船、汽車、電車、自働車、飛行機を操縱することは一切止めることにする。而して物理學の理論だけを講釋することを聽して貰ふのを妥協の條件として提出する。而して其理由はかうである。物理學は正確なる知識である。自然の道理を如實に言語に移したばかりの純潔正眞の知識である。それでなかつたら、何であれだけ便利な機械を作つて人間の幸福を増進することが出來たであらう。幸福を願はない人ならいざしらず、苟も共存共榮人類の發展を望むことであるなら、どうか物理學に信頼して貰ひたい。夫を危險が伴ふと見て棄てることになると、取りも直さず正確なる知識を失ふことになる。正確なる知識を持つことを許されずして、何時實現出來るか分らない理想のみを説く所の精神科學にばかり頼ることになると、頭がどうかなつて、其所に迷ひが出で來り、思想の漢土化天竺化を見る如きことがないとも限らない。夫は甚だ迷惑なことだ。とつくりとかうした所を考へて見て、寧ろ各自此物理學を研究して見たらば如何であらう。どうしても危險でならないと思つたら致方がないことで、其時精神的科學に鞍替しても何等差支のないことと思はれる。しかし人まで勸める態度が惡いとあれば、それは止めることにして、唯自分等同志にのみ物理學を研究することを聽して貰ひたい。とかういふのである。
 右の樣な具合にして折衝を試みたら、大抵妥協が成立するでなからうかと思はれる。いやそれよりか唯物理學の理論のみを發表し、假令如何なる便利の機械の考案が出來てゐても、その實現を見合はすことにしたら始めから問題を起す樣な氣遣がないことは明白である。此處である。思想の衝突でも起つた場合、又衝突を避けようとした場合、お互どうした態度をとつたら、人に迷惑をかけないで濟むかと云ふことが思付くであらう。ところが安藤昌益はチヤンと衝突を避けようとする考へで、始から問題の起る樣な氣遣のない態度を取つたと思はれる。それは次節に入つて説明する。
 安藤が事物の相對性を互性活眞と看破する事により、前人未知の祕を發き無上の道理を獲得したるものと思つたのである。孔子も釋迦も此道理を辨へずして政教を布いたと取り、聽すべからざる暴擧にして直に其無效を主張する。之に反し自分の説くところは自然の妙道より發するもので些の迷妄を交へず、純潔正眞にして全く信頼するに足るものであるが故に、必ず將來世間に行はるること疑ひなしと宣言する。彼はこの主張宣言を自然眞營道の序跋に簡單明瞭に摘載し了つて、遂に自ら眞人であり救世主であると喚んでゐる。

      三 安藤昌益の人物

 安藤昌益は狂人でなかつたか。彼は世人の貴しとする所を貴むことを知らず、増長して自ら眞人救世主と稱するに至つては眞に正氣の沙汰とは取れない。就中尤も人を驚すに足るものは、彼が家康當時神君と崇められた家康に向つた時である。其心術の陋を見るや彼は忽ち惡罵の權化に變じ、峻嚴酷烈其度を超え、叱責罵辱其頂に達し、讀む者をして足顫ひ手汗するを禁ぜざらしむるものがあつた。而して其事を記したる所に誰人の優しき心で爲したことであらう、四重五重の張紙があつて、丁寧に家康の名前を覆ひ隱してゐた程である。かかる場面を見せられては彼は所謂曉[#文意から「曉」は「堯」の誤り?]に吠ゆる犬で、慢心の結果眞に狂するに至つたのではなからうかとの疑が出て來たこともあつた。しかし此の如きは全く彼が義憤に焔えた時の有樣で、一面温和な柔順な、そして常識に富み諧謔の餘裕さへも持つてゐたことを確め得たので私は初めて安藤の狂者ならざるを信ずるに至つたのである。今其證據を擧げて見ようと思ふ。
 先づ第一に彼が常識を備へてゐるといふ證據はかの猛烈なる自然眞營道を公表するのを控へたと云ふことが何より雄辯に物語るのである。このことは隨處に話して來たので再説の必要がないと思ふが、之に關聯してゐる問題で取殘されたものがある。そは寶暦書目に載つてゐる自然眞營道の内容は遠※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]的であつたらうと云ふことである。遠※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]的とは内容の性質を指すのではなく效果の上に就て云つたので、例へば少し前に述べて見たところの物理學の理論ばかりを説いたと云つた樣な譯で、主として互性活眞の道理を説明し、人心を刺激する如き具體的の議論を試みなかつたのではないかと云ふのである。即ち始から問題の起る氣遣ひがない樣な態度を取つたらうと云ふことである。もし此推測にして當つてゐるなら、彼が常識を備へてゐたといふ證據は更に裏書された譯であることは言ふ迄もない。
 彼の常識に附帶して彼の愛國心を思ひ出さざるを得ない。是も亦常識を助けて全本の公表を見合せさする一因となつたのではなからうかとの想像は當らずと雖も遠からずであらうと思つてゐる。私は劈頭第一に民族的農本組織と云ふ言葉を使つて置いたが、この民族である。彼が我民族を建てようとの意志熱情は到る處に表はれて實にいたましい程である。彼は神を信ぜず佛を信ぜず又聖人を信ぜず、全く傍若無人の言を弄して憚らざるにも係らず、事苟も我國の利害に關すと見れば、蹶然起つて神國を喚び、此神國をどうする積りであるかと詰責するのである。かくして聖徳太子は異國の佛を信じ儒を尚ぶと云ふ譯で甚だ香ばしからぬ名稱を奉られ、最澄空海の如きは態※[#二の字点、1−2−22]渡唐したあげく、佛教の
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