は又其事を怪しからぬ事と解し、しかも亦天下此以上重大なる問題なしと考へたところに彼の獨創的の閃きを發揮するのである。
正保の昔し佐倉の義民木内宗吾が刑死した事や、寶暦の當時八幡の暴主金森頼錦が封を失つた事や、又夫等の事件ほど人口に膾炙するに[#「膾炙するに」は底本では「※[#「口+會」、第3水準1−15−25]炙するに」]至らないとは云ひ、所在聞くところのかの百姓一揆と稱するものは、皆治者と被治者の爭ひで實に苦々しい話である。しかし其原因を探つて見れば孰れも苛斂誅求に堪へなかつた農民の不平から起つた事で、根本の理由は生活を劫かされたと云ふ所に歸するから、實に強いので、其ため往々治者が被治者に負ける樣な珍妙な事になるのである。しかしかう云ふ事件を個々の事件として眺めただけでは何時迄も苦々しい事件といふ以外に何等の意味を發見することが出來ないのである。ところが安藤は此種類の事件を日本に起つた個々の事件として見ることの外に、之を一括して人類生存の意義に關する極めて重大なる問題に變形せしめたのである。
諺は中心からの喚びで、何等囚はれざる宣言である。其一つに米は命の親と云ふのがある。人はパ
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