る。かくして彼は遂に思想の虚無主義に立つことを餘儀なくせられたのである。
 破邪之卷二十餘卷は如上の意氣考察を以て書綴られたもので、實に極端なる懷疑の眼を以て思想、言語、文學、政治、宗教其他一切の人爲的施設と及び此等の事に携はつた偉人物を批評したものである。批評し去り批評し盡し何等採るべきところなしと見て、安藤は遂に法世其者を棄てようと決心し、棄て得る限りの總ての物を棄て去つた所で、尚且つ棄てようとしてもどうしても棄てられない物が殘つた。そは何ものである。曰く自然[#「自然」に白丸傍点]。
 自然は最後の事實である。所謂論より證據の最も優れたる標本で、思慮分別を離れてその儘に存在する。その一切を許容し包容し成立せしめて、更に是非曲直美醜善惡を問はない所に實に測るべからざる偉大さがしのばれる。此自然を人々の思慮分別に由て如何に觀るかと云ふ事が、軈て科學者を生じ哲學者を生じ宗教家を生ずる。安藤は既に法世の思想を棄てると力み、虚無主義に立つたこと故、彼は自然其儘を直觀しようと勉めた。其主觀的思索を藉らず、虚心坦懷に自然に聞かうとした所は實によく科學者の態度に近かかつた。然らば彼は科學者であつ
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