たる理想を實現せんと努めたる結果、人々皆高きを思ひ、貴きを思ひ、利を思ひ樂を思ひ、之を求めんとして遂に罪惡を作るに至つたのである。人々は慾を煽られ罪惡を犯すに至つたとすれば、之を煽つた者は尚更深い罪惡を犯した者と見ざるを得ない。此見方を爲すことに由り安藤は聖人格の人を糞に比し、其言を聞く者を青蠅と云ふのである。又或所では自分は糞と呼ばるるも意とせず、却て聖人と呼ばるるを恥づと云ふのである。其理由は糞でも聖人より有益である。
此見方は頗る峻酷である。安藤は亢偏智[#「亢偏智」に白丸傍点]を弄する者と取り免さなかつたであらうが。知らずして善意を以て爲す者と見たら免さなければなるまい。しかし知つてゐるが故に人欲を煽り己の爲めにするものありとすれば是は免すべからざるものである。聖人を擔※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る徒にも往々此の如き者を見出すに至つては實に法世の爲めに悲まざるを得ないところである。かうした不都合も食ふ爲めの職業であつたり商賣であつたりする上に、又其所に種々祕密な關係があつたりするので、爲政者も大目で見て置かねばならない樣な所がありとすれば、法世は文化の進歩につて却て欺瞞の陳列場の如き觀を呈し、一方には奢侈逸樂を助長し、一方には怨嗟失望を誘致し、人心を惡化せしむることあるも、終に如何ともすること能はざるに至るのではないかと考へられる。此傾向は慥にあるものと認めざるを得ない。色目鏡を外づせば歴然として目前に現れる、隱匿辯護の餘地はないのである。是は實に法世の缺陷であり病氣であるのである。これあるがために罪惡を犯すもの盡きざるも亦明白なる事實である。而て其缺陷其罪惡の根本的救治は之を律法に求むるも得べからず、之を教法に求むるも亦得べからざることは、既往と現在とに徴して是亦餘りに明白なる事實である。かかる明白なる事實は事實なるが故に之を如何ともすべからざるものと見ることも出來る。是は頗る透徹したる見方である。しかし法世の見方はここまでは徹底し得ない。どうしても相も變らぬ教法を以て糊塗することに勉むるの外ないのである。然らば即ちその根本的救治策は到底成立の見込立たざる性質のものであらうか。これは是れ眞に世を憂ふるものの夙夜忘るべからざる問題でなければならない。しかしかかる問題を單に提起するさへ容易のことではない。まして成案を作るに至つては彌※[#二の字
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