#「我道には爭ひなし」に白丸傍点]、吾は兵を語らず[#「吾は兵を語らず」に白丸傍点]、吾は戰はず[#「吾は戰はず」に白丸傍点]、と云ふのがある。後に説明するが此語此考は實に彼の思索の中樞を成してゐる所から派生し來るので、決して卑怯な心から出たのではない。又此考が形を變じて前陳べた所の百年の後を期して書殘すのである[#「百年の後を期して書殘すのである」に白丸傍点]と云ふ語に成つたことは尤も味ふべき所である。私は自然眞營道の中に數ヶ所で此語に出遇つた。一面には略本三册を公刊しながら、他方には全本百卷は容易に公にしないと云つたことで、安藤がかうした考になつた理由は推測するに難からずである。先以て彼は公にすべきものと公にすべからざるものとの區別を知つて居たと云ふが一つの理由である。是が又平和主義と關聯してゐるのは明白である。もしかの猛烈なる完本をそのまま出板したとすれば、而して世人に讀まれ、多少とも影響するところがあつたとすれば、其結果は知るべきで、直に彼と當時の爲政者との爭ひとなることは、何も之を實行に訴へなくとも、考へて見ただけでも明白な事柄である。然るに安藤は徹頭徹尾爭ひを嫌つてゐる。爭ひを止めようと云ふのが彼の主張であるのである。それ故に彼は先づ遠※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]的なる略本を公刊して世人を啓發することに勉め、機熟するを見て全本を示さうとしたに違ひがない。彼は人騷がせをして迄も功名を急ぎ、結局主義主張を棒に振ると云ふ如き愚策に出でなかつたのだと考へるのが當つてゐると思ふ。
私が今遠※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]的と云つたのは未だ見ぬ本の内容を評したもので推測から出てゐる、當つてゐるか居ないかは後に再び論ずることにして、今は全本自然眞營道に就き安藤の主義主張が那邊に在るかを檢覈して見よう。
二 安藤昌益の思索の徑路
安藤昌益が社會の改造を思立つに至つた譯は、世間に不合理なる事が廣く行はるるを見て、如何なる原因があつてかかる譯の分らぬ社會が成立してゐるのかと深く尋ねて見たことが始めである。彼が世間の不合理に憤慨しただけで起つたら、彼は單に涙の人であつたので、普通一般の革命家とか又は其雷同者とかの列に墮したに相違ない。しかし彼は情の人であつたと同時に又智の人であつた。それ故熟慮熟考を重ね彌※[#二の字点、1−2−22
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