のさきに行っても風がひどいから帰りましょうといったのでたちまち賛成した。後を見るといままで歩いてきた跡はたちまち吹き消されている。孝ちゃんが滑って行ったと思うと影も見えなくなる。こいつは大変だと後を向くともうスキーが滑り出した。谷が実際にひかえているのだからおじけざるを得ない。スキーは遠慮なく低い方へ低い方へと滑って、木でも何でも見さかいなしだから乗ってる人間は気が気じゃない。まだ馬にひっかけられた方が生物だけに少しく安全だ。倒れると大変深くて柔かい雪だからどうにも起きられない。杖はどこまでももぐるし身体ももぐる。どうしても三分以上はもがかねばならない。やたらと力を使用してやっと孝ちゃんの後にくると往きに登った急なところをおろされるのだ。小林は「ここは底が知れませんぜ」といわれて足が振動したようだ。横足のつま先が少し低いとずるりと滑ろうとする。滑れば底なしにころがらねばならない。泣き顔をして恐る恐る足をのばす時はほんとに邪気のない時だ。からいばりをする奴はこういうところに連れてきて二、三度上下さしたら薬になるだろう。やっと下ってきてもう僅かになったので、板倉はまっすぐに急なところを下りたのはいいが雪が深いからたちまち桜の木の側で倒れた。スキーがこんがらかって雪にささった上に身体は急な傾斜の下に行っている。ころがりなおすにも足が逆になっていて動けない。雪の中で考えたがとても駄目だ。上では小池と小林が喜んでいる。木の枝にも一寸ばかり手が短いし、ほんとに困っていると孝ちゃんが助けてくれた。穿孔虫と小林が大変喜んで、確かに六分かかったと大げさなことをいう。五分くらいのものだ。昼にはコールドビーフを食わされてみんな大喜びをした。三時頃までくたびれて炬燵でねた。それから昨日の原に行って滑って暗くなって帰ってくると東京からお連れさんがきたというので、誰だろうと待っていると坊城と戸田がきた。北里はこないそうだ。今日から室内が大変明るくなった。それがガスのように青光りがする。誰のせいだろう。菓子がきたので大喜びだ。今日から風呂で振動的音声が聞えて頭にひびく。誰だか知らないが聞いたような声だ。何しろ二人増したのでにぎやかだ。
 十二月二十八日。初滑りの人がいるので宿の前で滑ることにする。坊城はわが手並を見ろとばかり滑ったが、スキーが雪につまずいて倒れる。スキーがつまずくので当人がつまずくのではないから、柔道でつまずくのと同意義な、少し違うようなまた同じような意義になる。戸田は後光を背負っているようだがどこが光るやら。一間は確かに滑る。立って三尺、倒れて二尺、起きる時にまた一尺、しめて六尺だから、間に直すと六尺を六で割って、いんろくが六で、一間ということになる。計算に違いがあったら直してもいい。午後から大分雪が硬くなってつまらなくなった。戸田は進歩して三、四間滑るようになった。今日から一つ炬燵に五人ねることになったので、板倉は唐紙のそばに圧迫された。今日オーストリアの人が一人きたということだ。
 十二月二十九日。九時半頃から滑りに出た。オーストリアの人は左手の公園で滑っていた。今日は宿の前は氷のように危険だ。原に行くことにする。二度ばかり坂を滑りおりていつもの傾斜に行った。心地のいい新しい雪の上を縦横に滑った。戸田は他人がいないのを幸い、六尺もあるスキーをなくして片足を雪につっこんで探している。こんな探しものは少なかろう。寒いだろうに御苦労様だ。
 昼からは坊城と板倉と小林でむやみと急な崖を下りた。坊城が知らぬ間に一尺ばかりスキーが浮いたといって得意になっている。谷間に下りて向こうに登ると路に出た。板谷に行く急なところを図に乗って下りた。小林らは静かに登る炭焼き小屋の煙をめがけて下りて行った。坊城と板倉は途中で景色を見ている。前の谷をへだてて向こうの山の中途を汽車が大きな音をたてて蚯蚓《みみず》の歩むよりも遅く登っている。前後の機関車から吐く煙と共にこの静かな天地に音ばかり大きく響かして行く。見る間に雪におおわれたトンネルに姿が消えると雪の世界はもとの静けさに帰った。一分もすると遙か先のトンネルの出口に煙が出て、再びボッボッという音が、小さく見える列車から響く。それが実に面白い。二人は顔を見合わして笑った。小林は帰りにはスキーを抱えて汗をかいて登ってきた。スキーを抱えて雪の上を歩くのは気がしれない。おまけに、フーフー息をきったにいたっては沙汰の限りだ。帰りにさっきの崖を見ると真白な崖にスキーの跡が一人一人ついている。あんな急なところを下りたと思うと得意だ。もっと急なところにたくさん跡をつけてやろうと三人で急なところをえらんで登って行った。戸田と小池はさきに帰ったと見えて姿が見えぬ。四時半ごろ宿に帰った。この晩坊城が甘酒の罐詰を開けた。ほんとに好きなのは御当人と戸田ぐらいなものだが、例のがんばりで塩をむやみと入れたのでしょっぱくてはなはだ迷惑だ。小池らは胸が悪いからお湯をくれといって甘酒を侮辱したので、坊城の頭が傾いたと思うと断然うまいとがんばった。瘠我慢で戸田と二人でとうとう呑みほした。恐ろしいがんばり方だ。戸田はローマ法皇のような平和論者だからおつきあいをしていたが、坊城は唯一の味方を得たつもりで東京に帰ったら家に甘酒をのみにこいと誘っていた。いまに甘酒に中毒してさかだちしても駄目だ。
 十二月二十九日。朝は昨日のところで滑る。昼から新天地を見つけに右手に入って行った。雪にうずもれた炭焼き小屋から煙が静かに上っている。みんなここで滑っているうちに板倉は一つ山を越えて向こうへ行った。いい傾斜があったと思って滑って行くと三尺ばかりの段があったので、知らぬ間に空中に浮いたと思うと下に落ちた。杖を力に倒れずにすんだので、大変得意でそのまますべって行ったら木を股にはさんで倒れた。そのうちに後の面々もかぎつけて柄にないジャンプを試みる。雪をけずって、無理にも空中に飛び上るようにして滑ってくる。板倉は一間ばかり空中に飛び上ったと思うと、二間もさきにいやというほどたたきつけられた。後の三人は人の痛さも思わず笑っている。坊城は飛び上る時から横になっているから空中に浮いた時は天勝の催眠術のようになって、それが地面にクチャリと落ちるのだから見ていて涙が出る。小林、小池もとより成功の見込みはない。制動法も朽木の倒れ方もジャンプには応用できない。戸田は神妙に傍で滑っている。大変うまくなった。足の方向はあんまり障害にならないようだ。日が傾き出したので帰途についた。途中まできた時にみんなさきに行って、ただ一人になった。彼方の山の雲はオレンジと灰色と紫と様々な色にいろどられた。真白な雪の上に顔を出した笹の葉ずれの音がさらさらと耳に入る。静かな、身をしめるような自然である。自然を眺めているのではない。自然から自分は、はえたようだ。杖をたてて手を口にあてて温めながら、この寂しい、しかも清浄な景に見とれた。今晩はしるこの罐詰にありつけた。こうなると鍋の底までなめる。甘酒とは大変な違いだ。小林は明日帰るので、大きな五色せんべいをあつらえて土産にする。そのついでにサイダーを飲んで干物をやいて火鉢をかこんで食った。
 十二月三十日。小林は昨夜大眼鏡をわったので、みんなが飯を食う時分にもまだ床の中でしょげている。やっと坊城が普通の眼鏡を貸したので床を出た。この眼鏡だとだいぶ人間に近づいて見える。人間らしいまでにはまだ行かない。西洋人がきたというので小林と途中まで迎えに行って見ると下の方から雪の中を登ってくる。昨日つけた崖のスキーの跡は今日の雪でけされた。自然にあってはかなわない。二番目の英人らしいのに Is there any Japanese? といったら、Down below? ときた。うまいことをいいやがる。英国人は英語がうまい。今日は宿の前で滑った。今日きた異人は独二人、英二人だ。盛んにドイツ語の会話をやるがなかなかうまいもんだ。ドイツ語はもっとごつごつするかと思ったらまるで英語のようだ。冠詞が一格だか二格だか考えずに出るからドイツ語はドイツが本場だと見える。一時頃小林が帰るので小池と坊城と板倉で送って行く。小林が先で林をぬけて雪の降りくる中を滑って行くのは見ても気持ちがいい。四町の道を一気にすべって順次に三人が止まると「それでは失敬」と帽子をとる。一人別れてすべって行く小林の後ろ姿を雪が降りしきっている。一人へってもだいぶ寂しい。
 十二月三十一日。戸田は風邪らしいので休む。後の三人は外人と山に行くことになった。オーストリアのウインクレル氏は二十九の元気な青年だ。「今日おともを・さして下さい」と英語式日本語がつい出た。すると「ええ、だけどちょいと近くですよ。余り面白くもありません」と流暢な日本語が返ってきた。後の面々の年は外人だから分らない。何しろ三十以上四十ぐらいの人もいるようだ。孝ちゃんも一緒で日英独の山登りは面白い対照だ。この前登った崖も今日は楽に登って風雪に弱ったところを列をつくって登って行く。ウインクレル氏が先頭で孝ちゃんが殿《しんが》りに。まん中の日本人三人がむやみに後滑りしていたが余りみっともよくなかった。電光形に正しく先頭の後を登って行くといよいよ初めての下りがきた。左手に山をひかえたところだから下りにくい。先頭が手際よく下りてぴたりと止ると次が下る。坊城が滑り出したと思うと、右にそれて下に行って煙をあげた。何のあいずやら。小池は滑るたびに左手の山にのしあげる。決してスキーが下を向かないで山の方を向く。つまり傾斜面と直角な線が平行につく。はしご段を一段一段横に滑って、また一段下に足をのばすと思えば想像がつく。真に安全だが楽じゃなさそうだ。これから少し行くと賽の河原に出る。岩の上をスキーで歩かされた。やがて尾根に出た。猛烈な風だ。寒いの寒くないの、夏でも寒そうなところだもの、とてもやり切れぬ。見ると米沢の盆地が一面に見渡せる。遙か遙か先に山のかげに平らなところが見える。地図のようだ。上杉のところだなと思いながら眼界の広い寒い景色を眺めた。これから山の中腹を右手に行くとやがて先頭が止った。いよいよ下るのだなと思っているとウインクレル氏の姿がスーとばかり山の下に消えて行く。先はどんなだかちょっと見当がつかない。何しろスキーの後を追って滑り出した。一つの山を曲りながら下りるとウ氏の姿が下に小さく見える。大変長い傾斜だと喜ぶうちにスキーは刻々に速度をまして行く。スキーの跡はS字形にうねって下りて行っているが、大変な速さになると曲り切れなくなった。それでもまっすぐに行っては悪いと思うから少しなりともS字を画こうと努力するとたちまち一間ぐらいはねとばされた。今度は怒ってまっすぐに下りた。速いの速くないの風がうなっている。たちまち先頭の止っているところにきた。やむを得ず自己流の杖をついて身体をぐんと後にかけてやっと止るとウ氏が見ていた。「杖を後については見にくいです。横にならよろしい」と戒められた。後からきた坊城が、「ほらみろ叱られたろう」というような笑い方をしている。仰ぎ見ると十数町の大傾斜が空の下に横たわる。それを上の方から豆つぶのような人が三つばかりS字を画きながら下りてくる。時々ぱっと雪煙が上ってひっくりかえるのが見える。ドイツのスキーの先生がみごとに下りてきた。「ああいうふうに下りるのです」とウ氏が手をかざす。ドイツの人は曲り角で腰をぐんと落しながら杖を巧みに使ってくるが杖を持ちかえるところなど落着いたものだ。もう一人のドイツ人は今度が初めてだそうだ。勇敢にひっくりかえる。ウ氏が「孝ちゃん、ここに去年炭焼き小屋がありましたね」と孝ちゃんを振返る。「今年は焼かないのです」と孝ちゃんが答える。「困りましたね、お弁当を食べようと思ったのに」といいながら、それでも「ここで食べましょう」と各自場所を見つけた。大木の切株が二つある。一つは独が占領した。日本も他の一つをとった。英はまた他の場所によった。眺めると独英日が別々に陣をとっている。「戦争をしようか」と三人で笑
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