った。頭上には硫黄を運ぶケーブルが動いている。ウ氏がつるさがってくる飛行船のような薪のたばを指して「ほらツェッペリン」と遠くのほうから愛嬌をいう。パンをほおばりながら見ると、わが眼界に遠くの山々が真白にいかにも地球のしわのごとく凸凹を見せて、そのまたさきに平野が美しく横たわって見える。こういうところから見ると、山は全く地球の襞だと合点される。天体から見ると無いといってもいいような地球の上にまたあんな襞がある。その一つの凸凹さえわれらから見ると大変な大きさだ。こうやって見ていると地球の外から地球を見ているような気がする。空をとおる雲足がむやみと速くなった。太陽が顔を出すと暖かい光がこごえた身体には大変有難いが、たちまち雲におおわれると同時に風が吹いてくる。ふるえながらパンと干葡萄をほおばった。日本は三人ともセーターだが、異人はみんな上着の用意がある。そのうえ日本人の靴は普通のだから冷たいの冷たくないの痛むことおびただしい。孝ちゃんも寒いとみえて体操をしていた。山登りは完全な用意が必要だとつくづく情けなくなった。やがて出発した。さっきの大傾斜の側を通ってまた上に登って行く。急な山をウ氏がさきに立って路をつけて行くと後の者は一列になってその跡を登って行く。急だから一歩一歩眼界が広くなった。前に見える鉢盛山の左手には鋭い山や丸い山の頭が連って見える。その端はいま登っている山のつづきの大きな雪の山でさえぎられている。その山から今登っている山との間にさっきのいいスロープがある。真白なためにどこでも滑れそうだが大変急だ。先頭のウ氏が遠く聳えた鋭い山を指して「あれも登りました、七面山です」という。登る山はいくらでも控えている。残念だがまだどれもわが足の下に踏んだことがない。いまに見ろと力んでも実際登らないんだから駄目だ。少し進んだ時前にいた新米のドイツ紳士が「少し落ちましょう。愉快ですね」といった。滑り落ちるんだから落ちましょうは大できだ。今度は右に谷を控えた山の腹を下るのだが、かなり急に上に曲って下りられそうもない。先頭は相変らず見事に二町程先で止った。その後は大抵雪に埋まってしまった。やがて自分の番なので決心を固めて滑り出すと、果して大変速くなった。みんなのスキーが遅くなる辺でもこっちのスキーは大変な勢いだ。たちまちみんなが留っているところへきた時はとても止らない。前を見ると十間ほどさきに岩が出てそのさきはとても助かりそうもない谷だ。やむなく杖を力一ぱいに雪についた。非常に雪が硬かったので杖は雪にささって身は岩の見えてる傍で、でんぐり返った。異人の「バンザイ」という声に苦笑して立ち上ると、ウ氏に「曲ることをもっと稽古しないといけません」と教えられた。ますます頭が上らない。これから尾根に出ようとすると、雪が硬い上に鏡のような雪が底の見えない谷に落込んでいる。その腹を左に山を控えて登るので足がくすぐったい。尾根に出ると猛烈な風だ。これでは長く歩いては凍死だと思った。礫《つぶて》のような雪を吹きつけるばかりか身体が逆に吹き戻される。手のさきの感覚が無くなって顔がむやみとほてった。ついにとても駄目で引き返した時には早く山の陰に行きたいと思った。かたい雪の上を滑って行きながら曲らねばならぬが、速くなるので曲り切れないで倒れては滑りなおした。みんなむきで滑っているがさきはなかなか長い。大てい左手に山を控えているので滑りにくくて困った。急な谷を下りる時などは遙かさきに小さく見える先頭を見ながらどこで止るやらわれながら分らない。心細いことだ。なにしろ人の跡は大変速くなるから全く違った道を滑ることにした。そのさきで、大変に急な山にぶつかって引っかえした。「ツールュック」ときた。戻りながら木のむやみとはえた谷を見て「ここを下ります。去年も通ったことがあります」とウ氏が気の毒そうにいった。「身体を小さくしてゆっくりいらっしゃい」といいながら雑木の中をくぐって行った。これはことだと思ったがやむを得ぬ。スキーがやっと並ぶようなしかも急な木の間を突進するのだ。運は勿論天にまかした。寝るように身体を低くして、枝の間をあっという間にぬける。ことごとく、無茶苦茶である。立ち止まると寒くていけない。雪が降っている上に風が吹いて日が傾いたからいよいよ寒い。杖を木にとられて身体だけ滑ったり木の枝につっかかったり様々な曲芸を演じる。ドイツの先生が時々止まって新米の紳士に声をかける。「ステンメン」とどなっている。新米のドイツ人は非常に勇敢で木の中でも林でもかまわず突進する。勇猛なので感心した。やっと毎日滑りに行くところに出た。「無茶苦茶の真の意味が分った」と三人で笑った。変な奴がそろったものだ。宿に着いたらもう暗かった。戸田が一人ぽつねんと待っていた。
一月一日。正月などは、どこにも見つからない。したがって年をとるのも止めだ。昨日と同じ雪の世界は真白である。年をとりたい人や竹の節のようにお正月にもってきてくぎりをつけたい人は勝手に節をつけるがいい。こっちは勝手なところでくぎりをつけて、年は生れてから死ぬまでを一つと算えることにする。一体日本人は早くもったいぶったり容態ぶったりしたがる。したがって三十越すともう並のかけ足さえできないで、家鴨のようなようすで電車を追いかけている。みんながしないから、俺もしないでいいと思っているらしい。勝手に自分で年をとって、俺にはそんな暇はないとかもう大人だからとかいっている。運動をしないから自然をほんとうに知らない。したがって屁理窟と机上の空論がむやみと多くなる。他人の思想をそのまま右から左に受けついで蓄音器となる人や、他人の考えを筆にしてタイプライターとなる人が増す。運動をしない人間は運動に口を出す資格はない。いな青年の気分を解する資格がない。自然に接し得ない人間は片輪である。自分の頭の空虚に気がつかず、外見大人になって内容のない議論をされてはやかましくていけない。一人で雪の中に立てば自分の馬鹿がわかる。浮草のような根のない理窟が馬鹿げてくる。もっと子供になったほうがいい。自分の頭の空虚を知った子供にはさきがあるが、うぬぼれで錆がついた大人の前途は世の障害となるばかりだ。見ろ、雪の世界に立つと雪があるばかりだ。
三人でいつもの山に行った。雪が降っている。今日は戸田が大きな毛の帽子をかぶったから西洋の古武士の面影がある。「ジャン将軍よ」と山の下から呼ぶと、雪の山の上に足をふんばって空に浮いた勇ましい将軍の姿が下ってくる。たちまち「ほーい」と声を上げ給いつつ雪煙が立つ。板倉と坊城とは急な崖をどうかして成功しようと滑ってくるが、えぐれたようなところでその上倒れた穴だらけだから猛烈に雪の中にたたきこまれる。坊城は相変らずがんばって何度でもやる。板倉もやったがついに二人とも兜をぬいだ。昼からは炬燵にあたりながら遊んだ。明日は帰ることにした。
一月二日。板谷のそばまで外人と一緒に滑ってきた。外人は鉢盛に行くのだ。別れ道で「それでは失礼」というとウ氏が「また会いましょう」と答えた。名残り惜しい雪を眺めながら汽車が出た。戸田は宇都宮で降りた。後の三人は上野に七時に着いた。泥濘にごった返した土を見た時、帰らなければよかったと思った。銀座を歩くと貧民窟のような汚なさを感じた。飾ってある人形の衣裳を見ても毒々しくてちっとも美の感じがしない。万事が毒々しく汚れて見えた。人の顔はいじけて見えた。大声で笑いたくなった。僕らのはいてる靴は破れ、服もしわくちゃだ。人が変な顔をする。乞食になったらこんな気分になれると思った。乞食もなかなかいいものだ。うぬぼれには乞食にもなれない。
以上は腹の中の虫の言い草だ。随分ひどい悪口をいったから、筆記している僕さえ腹がたった。さいわいと僕のことはあまりいわなかった。腹をかしたので遠慮したのであろう。したがって悪口をいわれた人はいわれ損だ。輔仁会雑誌にのせたのは僕が悪い。大きな心で許してやれ。
[#地から1字上げ](大正七年三月)
底本:「山と雪の日記」中公文庫、中央公論社
1977(昭和52)年4月10日初版
1992(平成4)年12月15日6版
底本の親本:「山と雪の日記」梓書房
1930(昭和5)年3月
入力:林 幸雄
校正:ちはる
2001年12月25日公開
2005年11月24日修正
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