いる。小池が雪の中に倒れて荘厳な雪の匂いがあると盛んに主張した。ほんとの真面目を教える匂いである。人間の本性を示す匂いである。雪の匂いをかぎうる人は確かに幸いだ。棒のように倒れても雪の匂いをかげばちっとも損にならない。この原をさきへ行くといい傾斜がある。一線のスキーの跡もないところを滑って行くのは愉快である。とめどもなく滑るような気がする。たちまちにして新天地に達するのだから面白い。眼がだんだん雪に反射されて傾斜が分らなくなってくる。平らだと思うと滑り出す。この新しい場所を教えられた帰りに宿の側で三町ばかり林の中をぬけて滑った。むやみと速くなって恐ろしいなと思うときっと倒れる。恐れては駄目だが木が列のように見え出す、とこれは速過ぎると思ってしまう。馬でひっかけられたより速いように思える。夜は炬燵にあたりながらトランプをやった。
十二月二十七日。朝起きて見ると烈しい風だ。雪がとばされて吹雪のように見える。今日は孝ちゃんに裏の山へ連れて行って貰う約束をしたのでなんだか少し恐ろしくなった。それでもみんなやせ我慢をして決して止めようとはいわない。スキーに縄を結びつけて滑り止めを作った。板倉が三人の弁当を背負ったがきっと潰れるにきまっている。宿の左に直ちに登りにかかるとむやみと急である。垂直に近い崖を角をつけながら登って行くと猛烈な烈風に身体が中心を失いそうになる。雪が顔を横なぐりにして行く。痛いのと寒いのと恐いのとでみんなむきな顔をしていた。この急なところを登ると小屋があってやっと普通な傾斜になる。風は依然として雪を捲いて吹きつけるからセーターの中まで針を通すような寒さが襲ってくる。小さな灌木の間を縫って行くと右手の遙か下の谷に新五色の温泉宿が平面的に見えて、その前に建物の陰か水か、真白な雪の上に薄黒く見えている。水ならきっと凍っているからスケートができるがと思いながら小池に聞くと「陰だよ」と一言のもとにしりぞけられた。登り行く途々鉢盛山の方向には山々が重り合っているのが見えるが、烈しい雪風に立っているのさえつらい。登れば登るほど風はひどくなった。孝ちゃんが早く帰ろうといってくれればよいと思いながら後をついて行った。風と雪とが後から吹くと前にのめりそうだ。いくら雪の景もこう苦しくてはなさけない。小池も小林も猿のような顔をして一言も声を出さない。そのうちに孝ちゃんが止ってこのさきに行っても風がひどいから帰りましょうといったのでたちまち賛成した。後を見るといままで歩いてきた跡はたちまち吹き消されている。孝ちゃんが滑って行ったと思うと影も見えなくなる。こいつは大変だと後を向くともうスキーが滑り出した。谷が実際にひかえているのだからおじけざるを得ない。スキーは遠慮なく低い方へ低い方へと滑って、木でも何でも見さかいなしだから乗ってる人間は気が気じゃない。まだ馬にひっかけられた方が生物だけに少しく安全だ。倒れると大変深くて柔かい雪だからどうにも起きられない。杖はどこまでももぐるし身体ももぐる。どうしても三分以上はもがかねばならない。やたらと力を使用してやっと孝ちゃんの後にくると往きに登った急なところをおろされるのだ。小林は「ここは底が知れませんぜ」といわれて足が振動したようだ。横足のつま先が少し低いとずるりと滑ろうとする。滑れば底なしにころがらねばならない。泣き顔をして恐る恐る足をのばす時はほんとに邪気のない時だ。からいばりをする奴はこういうところに連れてきて二、三度上下さしたら薬になるだろう。やっと下ってきてもう僅かになったので、板倉はまっすぐに急なところを下りたのはいいが雪が深いからたちまち桜の木の側で倒れた。スキーがこんがらかって雪にささった上に身体は急な傾斜の下に行っている。ころがりなおすにも足が逆になっていて動けない。雪の中で考えたがとても駄目だ。上では小池と小林が喜んでいる。木の枝にも一寸ばかり手が短いし、ほんとに困っていると孝ちゃんが助けてくれた。穿孔虫と小林が大変喜んで、確かに六分かかったと大げさなことをいう。五分くらいのものだ。昼にはコールドビーフを食わされてみんな大喜びをした。三時頃までくたびれて炬燵でねた。それから昨日の原に行って滑って暗くなって帰ってくると東京からお連れさんがきたというので、誰だろうと待っていると坊城と戸田がきた。北里はこないそうだ。今日から室内が大変明るくなった。それがガスのように青光りがする。誰のせいだろう。菓子がきたので大喜びだ。今日から風呂で振動的音声が聞えて頭にひびく。誰だか知らないが聞いたような声だ。何しろ二人増したのでにぎやかだ。
十二月二十八日。初滑りの人がいるので宿の前で滑ることにする。坊城はわが手並を見ろとばかり滑ったが、スキーが雪につまずいて倒れる。スキーがつまずくので当人がつまず
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