ことを含んでいた。それは山登りのうえのプラクティシュなことを話したと同時に、また或る時には山登りのうえのメタフィジィークについても大いに語り合ったことがある。私らは若い、だからそんな時には、夢中になって、さもえらそうに、いろいろのことをしゃべった。それ故そこにはあるいは青年の純情とも言いつべきものがあるかもしれない。確かにその時どきのある一個の事象に対しては幼稚なまでに直路《ひいぶる》なライデンシャフトを持ってたかも知れない。あるいはこの後、ずっと[#「ずっと」に傍点]時が経ってから顧みる時は、そこに恐ろしく生真面目な、空元気のある、深刻さがあった。そしてやや滑稽な空気が漂っていたのを認めざるを得ないかも知れない。しかしそれはどうでも自分にはいいことだ。人間は常に歩んでいるものだと私はおもう。昨日も今日とは同じきものではないかも知れない。だからその時と現在との間にどんな深いけじめ[#「けじめ」に傍点]があろうと、どんな遥かな隔りがあろうと、それはなんでもないことだ。私らは私らのある時期の「想い出」ともなろうかと思って、こんなことをそこから「ありのままに」何の飾りもなく何の粧《よそお》い
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