側伝いに奥の一間へようよう行ッた。跡に忍藻はただ一人|起《た》ッて行く母の後影を眺《なが》めていたが、しばらくして、こらえこらえた溜息《ためいき》の堰《せき》が一度に切れた。
 話の間だがちょッとここで忍藻の性質や身の上がやや詳細《つまびらか》に述べられなくてはならない。実に忍藻はこの老女の実子で、父親は秩父民部とて前回武蔵野を旅行していた旅人の中の年を取った方だ。そして旅人の若い方はすなわち世良田三郎で、母親の話でも大抵わかるが、忍藻にはすなわち夫だ。
 この三郎の父親は新田義貞の馬の口取りで藤島の合戦の時主君とともに戦死をしてしまい、跡にはその時|二歳《ふたつ》になる孤子《みなしご》の三郎が残っていたので民部もそれを見て不愍《ふびん》に思い、引き取って育てる内に二年の後忍藻が生まれた。ところが三郎は成長するに従って武術にも長《た》けて来て、なかなか見どころのある若者となったので養父母も大きに悦《よろこ》び、そこでそれをついに娘の聟にした。
 その時三郎は十九で忍藻は十七であった。今から見ればあまりな早婚だけれど、昔はそのようなことにはすこしも構わなかった。
 それで若夫婦は仲よく暮
前へ 次へ
全32ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山田 美妙 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング