ゃ。こう衣《きぬ》は砥粉に塗れてもなかなかにうれしいぞイ、さすれば」
「まことよ。仰せは道理《ことわり》におじゃる。妾《わらわ》とてなど……」
「心からさならこの母もうれしいわ。見よ、のう、この匕首を。門出の時、世良田の刀禰が和女にこを残して再会の記念《かたみ》となされたろうよ。それを見たらよしない、女々しい心は、刀禰に対して出されまい。和女とて一わたりは武芸をも習うたのに、近くは伊賀局《いがのつぼね》なんどを亀鑑《かがみ》となされよ。人の噂《うわさ》にはいろいろの詐偽《いつわり》もまじわるものじゃ。軽々しく信《う》ければ後に悔ゆることもあろうぞ」
言いきって母は返辞を待皃《まちがお》に忍藻の顔を見つめるので忍藻も仕方なさそうに、挨拶《あいさつ》したが、それもわずかに一言だ。
「さもそうず」
母もおぼつかない挨拶だと思うような顔つきをしていたがさすがになお強《し》いてとも言いかね、やがてやや傾《かたぶ》いた月を見て、
「夜も更《ふ》けた。さらばおれはこれから看経《かんきん》しょうぞ。和女《おこと》は思いのまにまに寝《い》ねよ」
忍藻がうなずいて礼をしたので母もそれから座を立って縁
前へ
次へ
全32ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山田 美妙 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング