。楠《くすのき》や北畠《きたばたけ》が絶えたは惜しいが、また二方が世に秀《すぐ》れておじゃるから……」
「嬉《うれ》しいぞや。早う高氏づらの首を斬《き》りかけて世を元弘の昔に復《かえ》したや」
「それは言わんでものこと。いかばかりぞその時の嬉しさは」
 これでわかッたこの二人は新田方だと。そして先年|尊氏《たかうじ》が石浜へ追い詰められたとも言い、また今日は早く鎌倉へこれら二人が向ッて行くと言うので見ると、二人とも間違いなく新田義興の隊《て》の者だろう。応答の内にはいずれも武者|気質《かたぎ》の凜々《りり》しいところが見えていたが、比べ合わせて見るとどうしても若いのは年を取ッたのよりまだ軍《いくさ》にも馴れないので血腥気《ちなまぐさげ》が薄いようだ。
 それから二人は今の牛《うし》ヶ|淵《ふち》あたりから半蔵の壕《ほり》あたりを南に向ッて歩いて行ったが、そのころはまだ、この辺は一面の高台で、はるかに野原を見通せるところから二人の話も大抵|四方《よも》の景色から起ッている。年を取ッた武者は北東に見えるかたそぎを指さして若いのに向い、
「誠に広いではおじゃらぬか。いずくを見ても原ばかりじゃ。和主《おのし》などはまだ知りなさるまいが、それあすこのかたそぎ、のうあれが名に聞ゆる明神じゃ。その、また、北東には浜成たちの観世音があるが、ここからは草で見えぬわ」
「浮評《うわさ》に聞える御社《みやしろ》はあのことでおじゃるか。見れば太《いと》う小さなものじゃ」
「あの傍《そば》じゃ、おれが、誰やらん逞《たく》ましき、敵の大将の手に衝《つ》き入ッて騎馬を三人打ち取ッたのは。その大将め、はるか対方《むこう》に栗毛《くりげ》の逸物に騎《の》ッてひかえてあったが、おれの働きを心にくく思いつろう、『あの武士《さむらい》、打ち取れ』と金切声立てておッた」
「はははは、さぞ御感《ぎょかん》に入りなされたろう、軍が終ッて。身に疵をば負いなされたか」
「四カ所負いたがいずれも薄手であッた。とてもあのような乱軍の中では無疵であろう者はおじゃらぬ。もちろん原で戦うのじゃから、敵も味方もその時は大抵騎馬であッた。が味方の手綱には大殿(義貞《よしさだ》)が仰せられたまま金鏈《かなぐさり》が縫い込まれてあッたので手綱を敵に切り離される掛念《けねん》はなかッた。その時の二の大将(義興)の打扮《いでたち》は目覚《めざ》ましい物でおじゃッたぞ」
「一の大将(義宗)もおじゃッたろう」
「おじゃッた。この方《かた》もおなじような打扮ではおじゃッたが、具足の威《おどし》がちと濃かッたゆえ、二の大将ほど目立ちなさらなかッた」
 折から草木を烈しく揺《ゆ》ッて野分の風が吹いて来た。野原の急な風……それはなかなか想像のほかで、見る間に草の茎や木の小枝が砂と一途《いっしょ》にさながら鳥の飛ぶように幾万となく飛び立ッた。そこで話もたちまち途切《とぎ》れた。途切れたか、途切れなかッたか、風の音に呑《の》まれて、わからないが、まずは確かに途切れたらしい。この間の応答のありさまについてまたつらつら考えれば年を取ッた方はなかなか経験に誇る体があッて、若いのはすこし謹み深いように見えた。そうでしょう、読者諸君。
 その内に日は名残《なご》りなくほとんど暮れかかッて来て雲の色も薄暗く、野末もだんだんと霞《かす》んでしまうころ、変な雲が富士の裾《すそ》へ腰を掛けて来た。原の広さ、天《そら》の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛《いか》めしくて、人家はどこかすこしも見えず、時々ははるか対方《むこう》の方を馳《は》せて行く馬の影がちらつくばかり、夕暮の淋《さみ》しさはだんだんと脳を噛んで来る。「宿るところもおじゃらぬのう」「今宵は野宿するばかりじゃ」「急ごうぞ」「急ぎゃれ」これだけの応答が幾たびも試験を受けた。
「馬が走るわ。捕えて騎《の》ろうわ。和主《おのし》は好みなさらぬか」
「それ面白や。騎ろうぞや。すわやこなたへ近づくよ」
 二人は馬に騎ろうと思ッて、近づく群をよく視《み》ればこれは野馬の簇《むれ》ではなくて、大変だ、敵、足利の騎馬武者だ。
「はッし、ぬかッた、気がつかなかッた。馬じゃ……敵じゃ……敵の馬じゃ」「敵は多勢じゃ、世良田《せらだ》どの」「味方は無勢じゃ、秩父《ちちぶ》どの」「さても……」「思わぬ……」敵はまぢかく近寄ッた。
「動くな、落武者。知らぬか、新田義興は昨日矢口で殺されてじゃ」
「なに、二の君が」
「今さら知ッたか、覚悟せよ」
 跡は降ッた、剣《つるぎ》の雨が。草は貰《もら》ッた、赤絵具を。淋《さみ》しそうに生まれ出る新月の影。くやしそうに吹く野の夕風。

     中

「山里は冬ぞさみしさまさりける、人目も草もかれぬと思へば」秋の山里とてその通り、宵ながら凄《
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