すこしずつ薄樺《うすかば》の隈《くま》を加えて、遠山も、毒でも飲んだかだんだんと紫になり、原の果てには夕暮の蒸発気がしきりに逃水をこしらえている。ころは秋。そこここわがままに生えていた木もすでに緑の上衣を剥《は》がれて、寒いか、風に慄《ふる》えていると、旅帰りの椋鳥《むくどり》は慰め顔にも澄ましきッて囀《さえず》ッている。ところへ大層急ぎ足で西の方から歩行《あるい》て来るのはわずか二人の武者で、いずれも旅行の体《てい》だ。
 一人は五十前後だろう、鬼髯《おにひげ》が徒党を組んで左右へ立ち別かれ、眼の玉が金壺《かなつぼ》の内ぐるわに楯籠《たてこも》り、眉《まゆ》が八文字に陣を取り、唇《くちびる》が大土堤《おおどて》を厚く築いた体、それに身長《みのたけ》が櫓《やぐら》の真似して、筋骨《すじぼね》が暴馬《あれうま》から利足《りそく》を取ッているあんばい、どうしても時世に恰好《かッこう》の人物、自然|淘汰《とうた》の網の目をば第一に脱けて生き残る逸物《いちもつ》と見えた。その打扮《いでたち》はどんなだか。身に着いたのは浅紺に濃茶の入ッた具足で威《おどし》もよほど古びて見えるが、ところどころに残ッている血の痕《あと》が持主の軍馴《いくさな》れたのを証拠立てている。兜はなくて乱髪が藁《わら》で括《くく》られ、大刀疵《たちきず》がいくらもある臘色《ろいろ》の業物《わざもの》が腰へ反《そ》り返ッている。手甲《てこう》は見馴れぬ手甲だが、実は濃菊《じょうぎく》が剥がれているのだ。この体で考えればどうしてもこの男は軍事に馴れた人に違いない。
 今一人は十八九の若武者と見えたけれど、鋼鉄《はがね》の厚兜が大概顔を匿《かく》しているので十分にはわからない。しかし色の浅黒いのと口に力身《りきみ》のあるところでざッと推《すい》して見ればこれもきッとした面体の者と思われる。身長《みのたけ》はひどく大きくもないのに、具足が非常な太胴ゆえ、何となく身の横幅が釣合《つりあ》いわるく太く見える。具足の威《おどし》は濃藍《こいあい》で、魚目《うなめ》はいかにも堅そうだし、そして胴の上縁《うわべり》は離《はな》れ山路《やまみち》であッさり囲まれ、その中には根笹《ねざさ》のくずしが打たれてある。腰の物は大小ともになかなか見事な製作《つくり》で、鍔《つば》には、誰の作か、活き活きとした蜂《はち》が二|疋《ひき》ほど毛彫りになッている。古いながら具足も大刀もこのとおり上等なところで見るとこの人も雑兵《ぞうひょう》ではないだろう。
 このごろのならいとてこの二人が歩行《ある》く内にもあたりへ心を配る様子はなかなか泰平の世に生まれた人に想像されないほどであッて、茅萱《ちがや》の音や狐の声に耳を側《そば》たてるのは愚かなこと,すこしでも人が踏んだような痕の見える草の間などをば軽々《かろがろ》しく歩行《ある》かない。生きた兎が飛び出せば伏勢でもあるかと刀に手が掛かり、死んだ兎が途《みち》にあれば敵の謀計《はかりごと》でもあるかと腕がとりしばられる。そのころはまだ純粋の武蔵野で、奥州街道はわずかに隅田川《すみだがわ》の辺を沿うてあッたので、なかなか通常の者でただいまの九段あたりの内地へ足を踏み込んだ人はなかッたが、そのすこし前の戦争の時にはこの高処《たかみ》へも陣が張られたと見えて、今この二人がその辺へ来かかッて見回すとちぎれた幕や兵粮《ひょうろう》の包みが死骸とともに遠近《あちこち》に飛び散ッている。この体に旅人も首を傾けて見ていたが、やがて年を取ッた方がしずかに幕を取り上げて紋どころをよく見るとこれは実に間違いなく足利《あしかが》の物なので思わずも雀躍《こおどり》した,
「見なされ。これは足利の定紋じゃ。はて心地よいわ」と言われて若いのもうなずいて、
「そうじゃ。むごいありさまでおじゃるわ。あの先年の大合戦の跡でおじゃろうが、跡を取り収める人もなくて……」
「女々《めめ》しいこと。何でおじゃる。思い出しても二方(新田義宗《にッたよしむね》と義興《よしおき》)の御手並み、さぞな高氏《たかうじ》づらも身戦《みぶる》いをしたろうぞ。あの石浜で追い詰められた時いとう見苦しくあッてじゃ」
「ほほ御主《おのし》、その時の軍《いくさ》に出なされたか。耳よりな……語りなされよ」
「かたり申そうぞ。ただし物語に紛れて遅れては面目なかろう。翌日《あす》ごろはいずれも決《さだ》めて鎌倉へいでましなさろうに……後《おく》れては……」
「それもそうじゃ,そうでおじゃる。さらば物語は後になされよ。とにかくこの敗軍の体を見ればいとど心も引き立つわ」
「引き立つわ、引き立つわ、糸のように引き立つわ。和主《おのし》もこれから見参して毎度手柄をあらわしなされよ」
「これからはまた新田の力で宮方も勢いを増すでおじゃろ
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