すご》いほどに淋しい。衣服《きもの》を剥がれたので痩肱《やせひじ》に瘤《こぶ》を立てている柿《かき》の梢《こずえ》には冷笑《あざわら》い顔の月が掛かり、青白く冴《さ》えわたッた地面には小枝《さえだ》の影が破隙《われめ》を作る。はるかに狼《おおかみ》が凄味の遠吠《とおぼ》えを打ち込むと谷間の山彦がすかさずそれを送り返し,望むかぎりは狭霧《さぎり》が朦朧《もうろう》と立ち込めてほんの特許に木下闇《こしたやみ》から照射《ともし》の影を惜しそうに泄《も》らし、そして山気は山颪《やまおろし》の合方となッて意地わるく人の肌《はだ》を噛んでいる。さみしさ凄さはこればかりでもなくて、曲りくねッたさも悪徒らしい古木の洞穴《うろ》には梟《ふくろ》があの怖《こわ》らしい両眼で月を睨《にら》みながら宿鳥《ねとり》を引き裂いて生血《なまち》をぽたぽた……
 崖下《がけした》にある一構えの第宅《やしき》は郷士の住処《すみか》と見え、よほど古びてはいるが、骨太く粧飾《かざり》少く、夕顔の干物《ひもの》を衣物《きもの》とした小柴垣《こしばがき》がその周囲《まわり》を取り巻いている。西向きの一室《ひとま》、その前は植込みで、いろいろな木がきまりなく、勝手に茂ッているが、その一室はここの家族が常にいる室《ま》だろう、今もそこには二人の婦人が……
 けれどまず第一に人の眼に注《と》まるのは夜目にも鮮明《あざやか》に若やいで見える一人で、言わずと知れた妙齢《としごろ》の処女《おとめ》。燈火《ともしび》は下等の蜜蝋《みつろう》で作られた一里一寸の松明《たいまつ》の小さいのだからあたりどころか、燈火を中心として半径が二尺ほどへだたッたところには一切闇が行きわたッているが、しかし容貌《かおだち》は水際だッているだけに十分若い人と見える。年ごろはたしかに知れないが眼鼻や口の権衡《つりあい》がまだよくしまッていないところで考えればひどく長《た》けてもいないだろう。そのくせに坐《すわ》り丈《ぜい》はなかなかあッて、そして(少女《おとめ》の手弱《たよわ》に似ず)腕首が大層太く、その上に人を見る眼光《めざし》が……眼は脹目縁《はれまぶち》を持ッていながら……、難を言えば、凄い……でもない……やさしくない。ただ肉が肥えて腮《あご》にやわらかい段を立たせ、眉が美事《みごと》で自然に顔を引き立たせたのでやや見どころがあるように見える。そのすこし前までは白菊を摺箔《すりはく》にした上衣を着ていたが、今はそれを脱いでただ蒲《がま》の薄綿が透いて見える葛《くず》の衣物《きもの》ばかりでいる。
 これと対《むか》い合ッているのは四十前後の老女で、これも着物は葛だが柿染めの古ぼけたので、どうしたのか砥粉《とのこ》に塗《まみ》れている。顔形、それは老若の違いこそはあるが、ほとほと前の婦人と瓜二《うりふた》つで……ちと軽卒な判断だが、だからこの二人は多分|母子《おやこ》だろう。
 二人とも何やら浮かぬ顔色で今までの談話《はなし》が途切れたような体であッたが、しばらくして老女はきッと思いついた体で傍の匕首《あいくち》を手に取り上げ、
「忍藻《おしも》、和女《おこと》の物思いも道理《ことわり》じゃが……この母とていとう心にはかかるが……さりとて、こやそのように、忍藻|太息《といき》吐《つ》くようでは、太息のみ吐いておるようでは武士《もののふ》……実《まこと》よ、世良田三郎の刀禰《とね》の内君には……聞けよ、この母の言葉を,見よ、この母の衣《きぬ》を。和女はよも忘れはせまい、和女には実《まこと》の親、おれには実の夫のあの民部の刀禰がこたび二の君の軍に加わッて、あッぱれ世を元弘の昔に復《かえ》す忠義の中に入ろうとて、世良田の刀禰もろとも門出した時、おれは、こや忍藻、おれは何して何言うたぞ。おれが手ずから本磨《ほんと》ぎに磨ぎ上げた南部鉄の矢の根を五十筋、おのおのへ二十五筋、のう門出の祝いと差し出して、忍藻聞けよ――『二方の中のどなたでも前櫓で敵を引き受けなさるならこの矢の根に鼻油引いて、兜の金具の目ぼしいを附けおるを打ち止めなされよ。また殿《しんがり》で敵に向いなさるなら、鹿毛《かげ》か、葦毛《あしげ》か、月毛か、栗毛か、馬の太く逞《たくま》しきに騎《の》った大将を打ち取りなされよ。婦人《おなご》の甲斐《かい》なさ、それよ忠義の志ばかりでおじゃるわ』とこの眼《まなこ》から張り切りょうずる涙を押えて……おおおれは今泣いてはいぬぞ、忍藻……おれも武士《もののふ》の妻あだに夫を励まし、聟《むこ》を急《せ》いたぞ。そを和女、忍藻も見ておじゃったろうぞのう。武士の妻のこころばえはかほどのうてはならぬわ。さればこそ今日までも休まず、夫と聟とは家にはおらぬが、おれが矢の根を日々磨ぎ澄まして、おなじ忠義の刀禰たちに与うるのじ
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