読んだか。それにつけても未練らしいかは知らぬが、門出なされた時から今日までははや七日じゃに、七日目にこう胸がさわぐとは……打ち出せば愚痴めいたと言われ……おお雁《かり》よ。雁を見てなげいたという話は真《まこと》に……雁、雁は翼あって……のう」
だが身贔負《みびいき》で、なお幾分か、内心の内心には(このような独語の中でも)「まさか殺されはせまい」の推察が虫の息で活きている。それだのに涙腺《るいせん》は無理に門を開けさせられて熱い水の堰《せき》をかよわせた。
このままでややしばらくの間忍藻は全く無言に支配されていたが、その内に破裂した、次の一声が。
「武芸はそのため」
その途端に燈火《ともしび》はふっと消えて跡へは闇が行きわたり、燃えさした跡の火皿《ひざら》がしばらくは一人で晃々《きらきら》。
下
夜は根城を明け渡した。竹藪《たけやぶ》に伏勢を張ッている村雀《むらすずめ》はあらたに軍議を開き初め、閨《ねや》の隙間《すきま》から斫《き》り込んで来る暁の光は次第にあたりの闇を追い退《の》け、遠山の角には茜《あかね》の幕がわたり、遠近《おちこち》の渓間《たにま》からは朝雲の狼煙《のろし》が立ち昇る。「夜ははやあけたよ。忍藻はとくに起きつろうに、まだ声をも出《い》ださぬは」訝《いぶか》りながら床をはなれて忍藻の母は身繕いし、手早く口を漱《そそ》いて顔をあらい、黄楊《つげ》の小櫛《おぐし》でしばらく髪をくしけずり、それから部屋の隅にかかッている竹筒の中から生蝋《きろう》を取り出して火に焙《あぶ》り、しきりにそれを髪の毛に塗りながら。
「忍藻いざ早う来よ。蝋|鎔《と》けたぞや。和女《おこと》も塗らずか」
けれど一言の返辞もない。
「忍藻よ、おしもよ、いぎたなや。秋の夜長に……こや忍藻」にっこりわらッて口のうち、「昨夜《ゆうべ》は太《いと》う軍《いくさ》のことに胸なやませていた体《てい》じゃに、さてもここぞまだ児女《わらわ》じゃ。今はかほどまでに熟睡《うまい》して、さばれ、いざ呼び起そう」
忍藻の部屋の襖を明けて母ははッとおどろいた。承塵《なげし》にあッた薙刀《なぎなた》も、床にあッた※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]帷子《くさりかたびら》も、無論三郎がくれた匕首もあたりには影もない。「すわやおれがぬかッたよ。常より物に凝るならい……いかにも
前へ
次へ
全16ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山田 美妙 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング