とを期せり。三年の春画富士に題して曰く自[#レ]別[#二]芙蓉[#一]三十年、空於[#二]図画[#一]弁[#二]雲煙[#一]、再会盪[#レ]胸当[#レ]有[#レ]日、白頭相照両※[#「白+番」、284−上−7]然と。然れども芙蓉は終に再び日本大詩人の面目を見ることを得ざりき。六月十二日彼は喀血《かくけつ》せり、而して医は其不治なるを告げたり。襄曰く吾上に母あり、志業未だ成らず、たとひ死せざるを得ざるも、猶医療を加ふべしと。彼は母の憂へんことを恐れて往復の書牘《しよとく》必らず自ら筆を把《と》ること常の如くしたりき。而して其晩年の著述たる政記を完成せんことを欲して死する迄眼鏡を着けて潤刪《じゆんさん》に怠らざりき。彼が通議の内庭篇は実に死するに先《さきだ》つ三日蓐を蹴て起ち草せし所なりき。思ふに松平定信は実に幕府後宮の譖《そしり》に因りて将軍補佐の任を罷《や》むるに至れり、目前の事斯の如し。彼が此篇ありし所以決して偶然ならざる也。而して其文整々堂々格律森厳|毫《がう》も老憊の態なし。其精力過絶なること斯の如し。而も彼は終に眠れり。
彼が遺物として日本に与へたるものは即ち外史二十二巻、政
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