《まゝ》に聞く所を聞きしまゝに写し出せり。而して自然に吾人をして快読に堪へざらしむ。彼の詩は日本人に衣するに支那の衣裳を以てせしむるものなり。自然に是れ唐に非ず宋に非ず将た又明清に非ず、頼襄の詩也、日本人の詩也。
 長崎は淫風の極めて太甚《はなはだ》しき地なり。襄の彼地に在るや屡々《しば/\》遊里に誘はれたりき。今日と雖も娼閣の壁上往々其旧題を見るといへり。然れ共彼の集に因りて之を察するに彼は喜んで狭斜の遊を為せしものに非りき。彼自ら詩を作りて其所懐を述べて曰く誰疑山谷堕[#二]泥犂[#一]、懶[#レ]学樊川張水嬉、唯使[#三]心膓如[#二]鉄石[#一]、不[#レ]妨筆墨賦[#二]氷肌[#一]。又曰く未[#レ]能[#三]茗椀換[#二]※[#「角+光」、第3水準1−91−91]船[#一]、何復繊腰伴[#二]酔眠[#一]、家有[#三]縞衣侍[#二]吾返[#一]、孤衾如[#レ]水已三年と。彼は喪に在るの間其愛妻とすら衾《きん》を共にせざりし也。如何ぞ独り長崎に於てのみ堕落せんや。況《いは》んや彼の此行固より空嚢《くうなう》たりしをや。古より名士は謗※[#「言+山」、第3水準1−91−94]《
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