に影響するが故なり。苟《いやしく》も寸毫《すんがう》も世に影響なからんか、言換ふれば此世を一層善くし、此世を一層幸福に進むることに於て寸功なかつせば彼は詩人にも文人にも非《あらざ》るなり。若し「事業」てふ文字を以て唯見るべき事功となさんには、若し「世を渉る」てふ詞を以て物質的の世に渉ることなりせば吾人の文章は事業なりと言ひしは誤謬なるべし。然れどもキリストの事業が三年の伝業に終らざるを知らば(彼の事業は万世に亘れる精神界の事業なり)、エモルソンの言へる如く大著述家は短き伝記を有することを知らば(彼の世と渉るは書中に活きたる彼の精神に在り)、吾人が斯く言ひしは当然なることなり。
批評とは何ぞや
吾人は明治の著作及著者を批評せんとて立てり。批評とは何ぞや、夫《そ》の中に愛憎の念を挾み、妬評《とひやう》、諛評《ゆひやう》、悪言|罵詈《ばり》を逞《たくまし》くし、若しくは放言高論高く自ら標し、己を尊拝して他人を卑しみ、胸中自家の主義を定めて人を上下するが如き者奚ぞ批評の消息を解せん。
透谷子又曰く
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他を議せんとする時|尤《もつと》も多く己れの非を悟る
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