。頃者激する所ありて生来|甚《はなは》だ好まざる駁撃の文を草す。草し終りて静に内省するに、人を難ずるの筆は同じく己れを難ぜんとするに似たり。是非曲直|軽《かろ/″\》しく判し難し。如《し》かず修練鍛磨して叨《みだ》りに他人の非を測らざることをつとむるに。
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と。吾人は彼が批評の関頭既に一歩を誤るを知れり。批評豈他人を是非する者ならんや。
 吾人の批評は正しく他人を画かんと欲する耳《のみ》。伝記若し人の外観的記載といふべくんば批評は人の内観的記載のみ。
 吾人が此所に之を記し置く所以《ゆゑん》の者は夫の局量狭隘の徒、自尊卑他なる文学的「パリサイ」人が紛々|喧々《けん/\》たらんことを恐れて、予《あらかじ》め彼等が口を塞《ふさ》がんが為のみ。

     田口卯吉君と其著述(一)

 慶応の年中中根|淑《きよし》君と同じく洋書を読みし童子。駿河の沼津に於て郷校に学びし童子。江原素六氏の監督せる沼津兵学校に学びし書生。彼は寛弘《くわんこう》の被覆の下に多感の性情を蔵し、愚かなるが如き態度の下に数学的、組織的、解剖的の能力を秘め、吶弁《とつべん》の下に天才を蓄へしが、幕
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