間は到底精細美妙なる審美的の観念は其発達を自由にする能はざるなり。是故に美術的の文学は是非とも脩辞の発達を待ちて発達するなり。而して明治の文学も亦此通則を免《まぬが》る能はずして脩辞の時代と共に美術的の文学は来れり。高壮美真の如き理想の歌はれたる恋愛学慈悲友誼、愛国の如きもの不完全にもせよ稍《やゝ》精細に画かれたるは実に此時限に始まれり。波瀾層々此文運は如何になるべきか、何処に向つて奔るべき乎。過去は即ち未来の運命を指定する者なり、未来は即ち過去の影なり。請《こ》ふ吾人をして明治文学史を観察せしめよ。
凡例三則
編述の躰裁は錯雑なり
吾人は序論に於て明治文学に三段落あることを論じたり。編述の躰裁を整へんとせば、須《すべか》らく筆を明治の初年に起し、福沢、西、中村等諸先生より論じ起すべきなり。しかも斯《かく》の如くせんには材料未だ具《そな》はらざる也。比較、簡撰《かんせん》多少の時日を要するなり。吾人にして若し間暇あらば実に斯の如くせんことを欲す。怨《うら》むらくは吾人の境遇之を許さゞるなり。
此に於てか吾人は先づ材料を得し所より筆を着け、随て記るし、年序を
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