思想は数年間之を発表すべき文学を求めつゝありしなり。而して其暗中に摸索するが如き勤労は先づ外山|正一《まさかず》矢田部良吉等諸氏の新躰詩と為り、「我は海軍、我敵は古今無双の英雄ぞ」と曰《い》ふが如き、「かせがにやならぬ男の身」といふが如き、今日より見れば随分|蕪雑《ぶざつ》なる或者はアホダラ経に似たる当時より見れば、頗《すこぶ》る傑作なる文学を出し、更らに矢野文雄氏の経国美談報知新聞の繋思談の如きものとなりて現はれ、シキリに現世紀の思想を顕はし、現世紀の感情を歌ふべき文躰を発見せんと努力せり。是ぞ明治思想史第三段となす所謂《いはゆる》「言文一致躰」と言ひ、「翻訳躰」と言ひ、「折衷派」と曰ひ、「元禄風」と曰ふが如き皆是れ脩辞上の題目にして、而して今日に至るまで未だ一致したる形式を為さゞる者なり。
斯《かく》の如く脩辞の問題盛んなると同時に美術的の文学(即ち狭義の文学)は勃然《ぼつぜん》として起り来れり。蓋《けだ》し脩辞を以て直《たゞ》ちに文学の全躰なりとするものは未だ文学を解せざる者なり。脩辞は唯文学の形式なるのみ。然れども渠《きよ》ありて始めて水の通ずるが如く思想を顕はすべき形式なき
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