きやうだうしや》には非る也。何となれば、彼れは其一身に於て日本国民が要求する渾《すべ》ての者を代表せざれば也。請ふ見よ、彼れの弟子等が往々にして唯物的(哲学に於てに非ず、実行に於て也)に流るゝを、福沢流の才子と称せらるゝ人物が稍《やゝ》もすれば唯生活を善くするの一事を以て其最終の目的となすことを。
人|若《も》し金を積んで郷里に居り、時に金を散じて人を恵み、橋を架し、道を作り、小恵小善を行ふを以て足れりとせば、福沢君は実に天下最第一の師たらん。然れども世は唯小善の人を以て治むべからず、尋常平凡の人物より成立ちし共和政治は最も卑陋《ひろう》なる者なり。是故に世は英雄崇拝を要す。而して福沢君は之を教へざる也。人は唯善く生活するを以て満足する者に非ず、人の心の深き所には※[#「糸+(囚/皿)」、第3水準1−90−18]袍《をんぱう》に満足せざるものを有す、是故に世は宗教を要す、此故に哲学を要す、而して福沢君は之を教へざる也、是皆天下の最大要求也。而して彼れは冷眼に之を見たり。是れ彼れが一派の餓鬼大将(請《こ》ふ語の不敬を許せ、猶君が所謂楠公権助のごときのみ、悪《あ》しき意味あるに非る也)た
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