深く敬するに足らんや。たとひ美を論じ高を説くも其人にして美を愛し、高を愛するに非んば何ぞ一顧を価せんや。自ら得る所なくして漫《みだ》りに人の言を借る、彼れの議論|奚《いづくん》ぞ光焔あり精采あるを得んや。博士、学士雲の如くにして、其言聴くに足る者少なきは何ぞや。是れ其学自得する所なく、中より発せざれば也。彼等が唯物論として之を説くのみ、未だ嘗《かつ》て自ら之を身に躰せざる也。故に唯物論者の経験すべき苦痛、寂寥《せきれう》、失望を味はざる也。彼等が憲法を説くや亦唯憲法として之を説くのみ、未だ嘗て憲法国の民として之を論ぜざる也、故に其言人の同感を引くに足らざるなり。彼等の議論は彼等の経験より来らざる也、彼等の智識は彼等の物とはならざる也。
明治の文学史は我所謂才子に負ふ所多くして彼の学者先生は却《かへ》つて為す所なきは之が為なり。
事実の中に活くる者
吾人をして福沢翁に返らしめよ。吾人は彼れの事実の中に棲《す》む人なるを知る。
翁の書を読みもて行けば恰《あたか》も翁に伴うて明治歴史の旅行を為すが如し、漢語まじりの難解文を作り臂《ひぢ》を振つて威張りし愚人も、チョン髷《ま
前へ
次へ
全35ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング