たる文家は三文の価値なき者なりや否や。二君の博学は感服の至りなれども博学だけにては余り難[#レ]有くもなし、勿論《もちろん》こはくもなし、然るに奇なるかな世人は此博学の人々を学者なりとてエラク思ひ、学問は二の町なれど智慧才覚ある者を才子と称して賞讃の中に貶《おと》す。是豈衣裳を拝んで人品を忘るゝ者に非ずや。
 才子なるかな、才子なるかな、吾人は真の才子に与《くみ》する者也。
 吾人の所謂《いはゆる》才子とは何ぞや。智慧《ウィスドム》を有する人也。智慧とは何ぞや、内より発する者也、外より来る者に非る也。事物の真に達する者なり、其表面を瞥見《べつけん》するに止る者に非る也。自己の者也、他人の者に非る也。智慧を有する人に非んば世を動かす能はざる也、智慧を有する人に非んば人を教ふる能はざる也。更に之を詳《つまびらか》に曰へば智慧とは実地と理想とを合する者なり、経験と学問とを結ぶ者なり、坐して言ふべく起《た》つて行ふべき者なり。之なくんば尊ぶに足らざる也。
 吾人の人を評する唯正に彼の智慧|如何《いかん》と尋ぬべきのみ。たとひ深遠なる哲理を論ずるも、彼れの哲理に非ずして、書籍上の哲理ならば、何ぞ
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