げ終わり]
と鉄案断乎として易《か》ふべからず、爾来十余年日本文学史を書くもの(たとへば三上、高津二学士の如き)多しと雖も未だ此の如き精覈《せいかく》なる批評眼を見る能はざるなり。而して物質的の進歩に注意せしは経済学者たる彼の特質固より斯の如くなるべき也。

     田口鼎軒先生に対して[#地から2字上げ]愛山生

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君を指してマンチェスター派と曰ひたるは君が自由貿易を主張し、保険事業を以て政府に属すべからずとなし、国を建つるの価は幾何《いくばく》ぞと論じ、個人主義世界主義を唱へられしが為也。されど余は此事に就きて極々の素人なれば君が果してマクレオッドやらバスチヤやらそんな事は存ぜぬなり。斯《かゝ》る詳細の系統は専門家たる君の命に従はん。余が君を以て天文方の子なりとせしこと、君が母氏の榎本氏に行ことを否《いな》みたりと云ふ二事は余が静岡に在りし頃家大人の談話に聞きたり、故に信じて書けり。しかれども君自ら間違なりと曰はるれば間違に間違なかるべし。君の漢文が御上手にや御下手にや余|亦《また》素人也何ぞ解せん。しかし是は或る老先生が田口も善いが其漢文には閉口すると云ひ
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