たりとか云ふ評判なれば其儘《そのまゝ》掲げたる耳《のみ》。余自身には御立派な御文章のやうに拝見|仕候也《つかまつりさふらふなり》。
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田口卯吉君と其著述(四)
田口君の史論に関し大欠点と覚ゆるは彼れの人物に重きを置かざることなり。彼れの史論は余りに因果づくめなり。斯《か》うすれば斯うなる者、斯《かゝ》る場合には斯る現象を生ずと予《あらかじ》め人事を推断して、而して史を評する者なり。若き男女を一室に置けば時として恋話を生ずべし、然《しか》れども亦生ぜざることもあるべし、人間の万事唯一の常感を以て論ずべくんば、此世は実に動かすべからざる宿命の支配する所也。然れども人類は斯の如き者に非《あらざ》るなり、英雄の行為は時として尋常の外に飛び出づることあり、時勢は人を作る者なれども、人も亦時勢を作る者也。歴史家の眼中は決して人物を脱すべからざる也。
田口君固より人物を論ぜざるに非ず、然れども不幸にして田口君の著す所の人物は平凡の人物なり、彼れの筆は英雄を写し出す能はざる也。彼れは人物に向つて同感の情少なき也。史上の人物に対して敬畏崇拝の念を生ずる如きは田口
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