如くに野暮なるは即ち彼をして名利の為め、栄誉の為めに節を売らしめず、独立独行、其議論を固守して今日に至らしめし所以なり。彼をして福地源一郎氏の如く明治の大才子となりて浮名を流すに至らざらしめし所以也。
(五)自信 彼は艱難《かんなん》の中に人と為り自己の力を以て世に出で、自己の創意を以て文壇に立ちたれば経験は彼に自信《セルフ・コンフィデンス》を教へたり。「阿母よ榎本氏に屡々行くこと勿れ、彼れに求むるの嫌あれば」と曰ひたる蒼顔の青年は此時より既に自ら其力を信じたりき。彼れは外山正一氏の駁論に対して驚かざりしなり。外山は実に一たびは我文学界にボルテアの如き嘲罵《てうば》の銕槌《てつつゐ》を揮《ふる》ひたりき。彼れは其学識を衒《てら》ひて、ミル、スペンサー、ベンダム、ハックスレー、何でも御座れと並べ立てゝ傲然《がうぜん》たること猶《なほ》今の井上博士が仏人、独逸人、魯人、以太利人、西班牙人の名を並べて下界の無学者を笑ひ給ふが如くなりき。(井上氏に言ふ、余は山路弥吉と称す、名を隠して議論の責任を遁るゝ者に非ず)。然れども彼は外山と議論を上下して優に地歩を占めたりき。加藤弘之氏が「人権新説」を
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