ひ得たる数学的脳髄は田口君が解剖的組織的の天才となりて明治の時代に称讃せらるゝに至りぬ。
彼の脳髄が如何計《いかばか》り数学的なるやは彼の書きしものが悉《こと/″\》く条理整然として恰も幾何学の答式を見るが如くなるに因《よ》りて知らる。吾人は彼の統計表、計算表、相場表の如き者を捕へて之を巧みに使用し、二と二とを合するが故に四なりと云ふが如き口調を以て人を説き伏することの如何にも巧なるに驚歎す。
若《も》し夫れ環の端なきが如く、繚繞《れうぜう》として一個の道理を始より終りまで繰り返へし、秩序もなく、論式もなく、冒頭もなく結論もなく、常山の蛇の首尾|尽《こと/″\》く動くが如く、其一段、一節を切り取るも完全の意味を有し、而して其全躰を見るも其文路に段落の分つべきなきエメルソンの文の如く、植村正久氏の文の如く、寧ろ散文の詩と云ふべきものに至りては田口君の作に於て只一編だも見るべからず。彼は斯の如くなる能はざるなり、斯の如くなるを好まざるなり。
(三)何物をも見遁《みのが》さゞる敏捷《びんせふ》 徳富蘇峰の将来之日本を以て世に出づるや、彼れは世界の将来が生産的に傾くべきを論ずる其著述に於
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