深く敬するに足らんや。たとひ美を論じ高を説くも其人にして美を愛し、高を愛するに非んば何ぞ一顧を価せんや。自ら得る所なくして漫《みだ》りに人の言を借る、彼れの議論|奚《いづくん》ぞ光焔あり精采あるを得んや。博士、学士雲の如くにして、其言聴くに足る者少なきは何ぞや。是れ其学自得する所なく、中より発せざれば也。彼等が唯物論として之を説くのみ、未だ嘗《かつ》て自ら之を身に躰せざる也。故に唯物論者の経験すべき苦痛、寂寥《せきれう》、失望を味はざる也。彼等が憲法を説くや亦唯憲法として之を説くのみ、未だ嘗て憲法国の民として之を論ぜざる也、故に其言人の同感を引くに足らざるなり。彼等の議論は彼等の経験より来らざる也、彼等の智識は彼等の物とはならざる也。
 明治の文学史は我所謂才子に負ふ所多くして彼の学者先生は却《かへ》つて為す所なきは之が為なり。

     事実の中に活くる者

 吾人をして福沢翁に返らしめよ。吾人は彼れの事実の中に棲《す》む人なるを知る。
 翁の書を読みもて行けば恰《あたか》も翁に伴うて明治歴史の旅行を為すが如し、漢語まじりの難解文を作り臂《ひぢ》を振つて威張りし愚人も、チョン髷《まげ》を戴きて頑固な理屈を言ひ、旧幕時代を慕つて明治の文明を悪《にく》む時勢|後《おく》れの老人も、若しくは算盤《そろばん》を携へて、開港場に奔走する商人も、市場、田舎、店舗、学校、渾《すべ》ての光景は我眼前に躍如《やくじよ》として恰も写真の如くに映ず。翁は真個に事実中に活《い》くるの人也。嗚呼是れ古今文学上の英傑に欠くべからざる一特質なり。時世を教へ、時勢を動かすの人は皆是れ、時勢を解するの人也。

     福沢諭吉君及び其著述(二)

 曰《いは》く学問の勧め、曰く文明論概略、曰く民間経済論、曰く時事小言、福沢君の著述が如何《いか》計《ばか》り世間を動かしたるよ。吾人の郷里に在るや、嘗《かつ》て君の世界国尽しを読んで始めて世界の大勢を知りたりき。「天は人の上に人を造らず」の一語が如何に深く日本青年の脳裏に喰込みしよ。楠公の忠節は権助の首くゝりの如してふ議論が如何に世論を沸騰《ふつとう》せしめしよ。而して慶応義塾派の一隊が如何計り社会に勢力たりしよ。
 毀誉褒貶《きよはうへん》の極めて多きは其人の尋常ならざるを証する者也。「ホラを福沢、嘘を諭吉」てふ嘲罵が彼れの上に蒙りしより以来今日
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