ス[#「ミダス」は底本では「シダス」]は其杖に触るゝ総《すべ》ての物を金にしたりき。田口君は其眼に触るゝ物を以て、直《たゞち》に自家薬籠の中の材となす。
(四)真面目  彼は詐《いつは》らんには余り聡明なり、胡麻化《ごまか》さんには余り多感なり。自ら見る明故に詐る能はざる也。良心の刺撃太だ切、故に胡麻化す能はざるなり。彼は屡々自ら胡麻化したるが如く言へり。然れども其自ら胡麻化したりと公言する所以《ゆゑん》は即ち其正直なる所以なり。彼の文中には屡々「妻女にのろき」、「眼を皿にして」など言へる洒落たる文字あれども、而《しか》も是れ彼が正直にして多感的なるを掩《おほ》はんとする狡獪《かうくわい》手段なるのみ。
 試みに彼に向つて一|駁撃《ばくげき》を試みよ。彼は必ず反駁するか冷評するか、何かせざれば止まざるなり。彼れは自家の位地を占むることに於て毫末も仮借《かしやく》せざるなり、彼れは議論に負けたとか勝つたとか言ふことを頗《すこぶ》る気にするなり。言ふこと勿《なか》れ、是れ彼の短所なりと。吾人を以て之を見る是れ彼れの正直なる所なり。彼れは自ら野暮《やぼ》と呼ばるゝを嫌ふべし。然れども彼の斯の如くに野暮なるは即ち彼をして名利の為め、栄誉の為めに節を売らしめず、独立独行、其議論を固守して今日に至らしめし所以なり。彼をして福地源一郎氏の如く明治の大才子となりて浮名を流すに至らざらしめし所以也。
(五)自信  彼は艱難《かんなん》の中に人と為り自己の力を以て世に出で、自己の創意を以て文壇に立ちたれば経験は彼に自信《セルフ・コンフィデンス》を教へたり。「阿母よ榎本氏に屡々行くこと勿れ、彼れに求むるの嫌あれば」と曰ひたる蒼顔の青年は此時より既に自ら其力を信じたりき。彼れは外山正一氏の駁論に対して驚かざりしなり。外山は実に一たびは我文学界にボルテアの如き嘲罵《てうば》の銕槌《てつつゐ》を揮《ふる》ひたりき。彼れは其学識を衒《てら》ひて、ミル、スペンサー、ベンダム、ハックスレー、何でも御座れと並べ立てゝ傲然《がうぜん》たること猶《なほ》今の井上博士が仏人、独逸人、魯人、以太利人、西班牙人の名を並べて下界の無学者を笑ひ給ふが如くなりき。(井上氏に言ふ、余は山路弥吉と称す、名を隠して議論の責任を遁るゝ者に非ず)。然れども彼は外山と議論を上下して優に地歩を占めたりき。加藤弘之氏が「人権新説」を
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