(二)

 斯《かく》の如き論戦も今は昔の夢となりぬ。然れども余は終生透谷に感謝せざるを得ざるものあり。余は未だ嘗《かつ》て透谷の如く親切に余の議論を批判したるものあるを見ず。透谷の如く短兵直ちに余の陣営に迫りしものを見ず。彼れは真に余の益友なりき。余は今も猶彼れの所謂唯物論者たることを免れざるやも知れず。余自ら之を知らず。而も余が人間は物質以上、形骸以上、功名以上に或る要求を有せざるべからざることを信じ、而して常に現実に満足せざるべしてふ願慾を有しつゝあることを得たるは是れ実に久しく地下に眠つて再び与《とも》に現世を歩むこと能はざる此一友人の恩恵に帰すべきこと多きは余の好んで告白せんと欲する所なり。
 透谷と余の論戦は頗《すこぶ》る激烈なりき。然れども余は個人たる透谷に対しては常に毫《がう》も愛敬の念を失はざりき。透谷も亦|勿論《もちろん》、論敵たる人の性格までを疑はんとする卑劣なる人物にあらざりき。現に余と透谷とが日々論戦を為しつゝありし頃は透谷も余も共に麻布の霞町に住し日夕相往来したりしなり。草緑にして露繁き青山の練兵場、林を出でゝ野に入り、野を去つて更に田に出づる笄《かう
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