に純文学てふ空名を以てし、不研究なる想像の城中に立籠らんとするは卑怯《ひけふ》なりと云ふに在りき。其頃より透谷の友人と僕の友人との間には自然に思想の鴻溝《こうこう》を生じ、僕の友人は透谷等と思想の傾向を同くするものを目するに高蹈派を以てし、透谷と思想の傾向を同ふするもの僕等を形而下《けいじか》派と罵《のゝし》るに至れり。
 透谷等の所謂『形而下派』にては無論蘇峰先生が総大将にして僕等は蘇峰門下の末輩に過ぎざりき。たとへば高蹈派と云ふ名目を作りたるも蘇峰君なりしが如し。然れども透谷はしか信ぜざりき。透谷の見る所に依れば蘇峰は幽玄を解し、美を解し、形而上を解する力あり。そは『静思余録』を見るも分明なり。たゞ頑冥《ぐわんめい》不霊なるは愛山のみ。彼れは形而上を解すること能《あた》はざる『唯物論者』なり。彼れの頭脳は英人的にして事業と功利の外は総《すべ》てを軽侮せんとするものなりと。是れ彼れの独断的批評なりき。而して彼れは自ら之を僕に語りたるのみならず、僕の透谷の家にて其遺墨を見たる時も同じ論旨を書きたるものを存したりき。此故に透谷は一意に僕に向て鉄椎《てつつゐ》を下さんと試みぬ。

    
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング