を知らざるべからず、而して此れ文典の教へざる所、詩律の示さゞる所、之を弁知すべきもの唯耳あるのみ。
 今の新体詩を把つて之を誦し、字を解せざる者をして之を聴かしめよ、若し果して彼等をして首肯せしむれば、即ち新体詩も亦一日の其生命を長ふすべきものある也。
「形」は方便なり、方便は目的に因つて異なり。今の新体詩を作る者、其志唯人をして之を読ましめて以て其感を起さするに在らば、吾人は寧ろ散文に因て其詩想を発揮するの優《すぐ》れるを見る。若し夫れ期する所は天下に風詠せしめて、永く之を口碑に伝へんとするに在らば、吾人は更に一段の工夫を要するを知る也。
 曰くオッペケペー、曰くトコトンヤレ、其音に意なくして、其声は即ち自ら人を動かすに足る。新体詩人の推敲《すゐかう》百端、未だ世間に知られずして、堕落書生の舌に任じて発する者即ち早く都門を風靡《ふうび》す、然る所以の者は何ぞや、亦唯耳を尚《たふと》ぶと目を尚ぶとに因る耳《のみ》。
 之れを聞く、昔し安井息軒先生、青楼に上り、俚謡を作りて曰く、
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つりがねをみんなおろして大砲とやらに鋳たらつくまいあけの鐘、
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