止[#レ]水以[#レ]火止[#レ]火ものなり、思ふに日本の今日は器械既に足れり、材料既に備れり、唯之を運転するの人に乏しきを患《うれ》ふる耳《のみ》。
余は信ず、今日に於て我文明をして、有効のものであらしめ、活気あるものであらしめ、永続するものであらしめんとせば、現時の行掛りなる物質的開化の建造と共に更に高尚なる精神的開化の建造に我歩武を向けざるべからずと、更に之を換言すれば、器械|備付《そなへつけ》の業、略々《ほゞ》成れるを以て更に之を使用すべき人物養成に向はざるべからずと、蓋《けだ》し今日の急務実に此一点に存す焉、若し我国をして国会開設の当時に於て慷慨にして而も沈摯《ちんし》なるハンプデンの如きもの一人《いちにん》だにあらしめば吾人は如何に気強からずや、我商業世界に於て独立、独行、良心を事務に発揮する資本家多からしめば、吾人は如何に安心ならずや、我が宗教世界に於て、昔し欧洲に在て震天動地の偉功を奏せし宗教改革諸英雄の如き人傑あらしめば吾人は如何に頼母敷《たのもし》からずや、而《しか》して顧みて実際を見るに、政治の世界は壮士を使用する者に蹂躪《じうりん》せられんとし、宗教家は徒《いたづ》らに博識を衒《てら》ふところの柔紳士となり了せんとす、我霊界も、我物界も、真俗二諦共に是れ風に吹かるゝ蘆底《ろてい》の人物を以て充されんとす、吾人は之が為に浩歎を発せざるを得ず、吾人は之が為に益々人物養成の必要を感ぜざるを得ず。果して然らば如何にして人物を造り出すべき、是れ吾人が此に至りて論決せざるべからざる問題なりとす(一)[#「(一)」は縦中横]世間或は第十九世紀の董仲舒《トウチユウジヨ》を学んで法律、制度を以て人心の改造を企つる者なきに非ず、然れども法律、制度はたとひ十分其効果を奏するも猶人を駆りて摸型に鋳造するに過ずして、其精神元気を改造するの用を為《な》し能ふ者に非ざるは歴史上の断案なり(二)[#「(二)」は縦中横]更に学校教化の作用を借りて人心改造の途《みち》となさんとする者あり、是前法に比すれば固より賢《か》しこき方法なるべしと雖、斯《かゝ》る注入的の教育を以て人物を作らんとす、吾人其|太《はなは》だ難きを知る、昔し藤森弘庵、藤田東湖に語りて曰く、水藩に於て学校の制を立てしこと尋常一様の士を作るには足りなん、奇傑の士は此より迹を絶つべしと学校の教育必しも人物製造の好
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング