/參」、第4水準2−93−26]《りよくさん》額をつゝみ、能《よ》く外国の人と語り、能く「ピアノ」を弾ず、看来れば宛然たる「レディス」なり、然れども其中に存するものは空の空なるのみ、赤間ヶ関の荒村破屋に嘗《かつ》て野「バラ」の如くに天香を放ちし、烈女|阿正《オマサ》の如き、義侠深愛、貞節の如き美徳は之を貴き今日の娘子軍に求むべからず、蓋《けだ》し吾人《われら》が之を求め得ざりしは其眼界の狭きが為ならん、而《しか》れども方今の人心は其外界の進歩に殆んど反比例して、其撲茂、忠愛、天真の如き品格を消磨して、唯物質的の快楽を遂ぐるに、汲々《きふ/\》たるは、掩《おほ》はんとして掩ひ得べからざるの事実に非ずや、思ふて此に至る吾人は賈生《カセイ》ならざるも、未だ嘗て之が為に長大息せずんばあらず、古来未だ嘗て亡びざるの国あらず、而して其亡ぶるや未だ嘗て其国民が当初の品格を失墜したるに因《よ》らずんばあらず噫《あゝ》今に及んで百尺竿頭、更に一歩を転ぜずんば、吾人は恐る、「古《むか》し我先人が文明を買ひし価《あたひ》は国を亡《うしな》ふ程に高直なりき」と白皙《はくせき》人種に駆使せられながら我子孫のツブヤカんことを。
 夫れ文武の政《まつりごと》、布《しい》て方策に在りと雖、之を活用するの政治家なくんば空文となりて過ぎんのみ、憲法はスタイン先生をして感服せしむるも、民法は「コード、ナポレオン」に勝ること万々なるも、国会は開設せらるも、鉄道は網の如くに行渡るとも、之を利用するの政治家、実業家にして、依然たる封建時代の御殿様たり、御用商人たらば憲法も亦た終《つひ》に何の律ぞ、鉄道も亦終に何の具ぞ、昔し蕃山熊沢氏は曰《い》へり堂宇《だうう》伽藍《がらん》の巍々《ぎゝ》たる今日は即ち是れ仏教衰微の時代也と、宣教師は来りて雲突計《くもつくばか》りの「チョルチ」を打建《うちたつ》るも、洋々たる「オルガン」の音、粛々たる説教の声、如何に殊勝に聴ゆるにもせよ、宣教師にリビングストーン氏的の精神を見ること能《あた》はず、説教者にパウルノックスの元気旺せずんば是れ唯|規《き》に因《より》て線を画くのみ、焉《いづくん》ぞ活動飛舞の精神的革命を行ふを得ん、さなきだに御祭主義なる日本人を促して教会を建て、「オルガン」を買ひ、「クワイア」を作ることを惟《これ》務むるが如きは是れ荘子の所謂《いはゆる》以[#レ]水
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